CATEGORIES
LINKS
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
▲ 東京公園 小路幸也
東京公園東京公園
小路 幸也

新潮社 2006-10-28

圭司はカメラマン志望の大学生。幼い頃に亡くした母親がフォトグラファーだったこともあって、被写体として「家族」にこだわっています。学校とバイトの間に時間があれば、東京中の公園に「家族」を撮影しに出かけます。

ある日圭司は、水元公園で見かけた母子を撮りたいと思いますが、許可を取りに行こうとしたとき、その家族の父親、初島さんに見つかり、断られてしまいます。しかし初島さんは圭司に、その母子のおでかけを尾行し、写真を撮って欲しいというアルバイトを頼みます。

圭司はそのアルバイトを引き受け、初島さんの妻、百合香さんと、娘のかおりちゃんを撮り続けます。そして、ファインダーごしに百合香さんを見つめるうちに、しだいに百合香さんにひかれていきます。百合香さんも圭司に気づき、ふたりの間に無言の交流が始まります。しかし、初島さんが、そんなアルバイトを頼んだ理由や、百合香さんが異常なほどに公園めぐりをし続ける理由が徐々に明らかになり、圭司もこのままではいけないと、決断を迫られることになるのです。

このようなストーリーの間に挟み込まれるように、圭司の日常生活が描かれます。アーチスト志望の同居人、ヒロ。幼馴染で元カノの富永。義姉の咲実と、故郷の両親。バイト先のマスター。誰1人、悪い人が出てきません。みんな平凡だけど、誠実で、思いやりのあるいい人ばかりです。特に、ヒロと咲実がそれぞれにかっこよくて、印象的でした。

派手ではないけれど、退屈ってことはなくて、穏やかで、温かい、「ちょっといい本」。ラストも爽やかで、素敵でした。

でも、ぶっちゃけ、私にとっては、どこか気恥ずかしい本でした。おじさんが書いた青春だなってひしひしと感じていしまい、どこか素人っぽい気がして、私のようなおばちゃんには、微笑ましいんだけど、気恥ずかしい。まあ、そんなところも、別の日に読んだら、好きかもしれないという程度の、微妙な境界線上にあるんですけれど・・・。
| さ行(小路幸也) | 14:52 | - | - |
■ 陽気なギャングの日常と襲撃 伊坂幸太郎
陽気なギャングの日常と襲撃陽気なギャングの日常と襲撃
伊坂 幸太郎

祥伝社 2006-05

人間嘘発見器。リーダー的存在の成瀬。
話の半分以上が嘘。いい加減な演説の達人、響野。
正確無比な“体内時計”の持ち主。運転担当の雪子。
動物を愛し、本人も野生の勘で生きている。天才スリの久遠。

『陽気なギャングが地球を回す』に登場したこの4人の、銀行強盗チームが再登場です。とにかく、会話が面白くて、面白くて。先回同様、成瀬&響野の会話は、長年の付き合いが物を言い、息があってて、テンポが良くて、素敵な漫才コンビでした。それプラス、今回は響野&久遠の会話も絶妙で、笑えました。

頭を空っぽにして読める、楽しい1冊。あらすじとか、ストーリー展開とか、読んだばっかりなのにすでに忘れつつある感じですが・・・それでも他の部分で、満足してしまった本です。伊坂さんがあとがきで言っておられるとおり、“この銀行強盗たちは四人でわいわいがやがやと喋りながら、騒動に巻き込まれていくのが本領”。わたしはその“わいわいがやがや”を、十分に堪能しました。楽しかった!
| あ行(伊坂幸太郎) | 15:12 | - | - |
■ 退屈姫君海を渡る 米村圭伍
退屈姫君 海を渡る退屈姫君 海を渡る
米村 圭伍

新潮社 2004-09

退屈をもてあますめだか姫のもとに、「天下の一大事だぜ!」とお仙さんがやってきて、めだ姫が「すてきすてき!」と言ったら、この本はもう面白いに決まっているんです。

今回の「天下の一大事」は、めだか姫の夫である風見藩藩主・時羽直重が行方不明であるという大事件です。めだか姫と結婚したばかりで、世継ぎのいない直重が失踪したり死んだりすれば、風見藩は改易、即お取り潰しになるのです。姫は実家に頼み込み、お仙と共に江戸を脱出。四国讃岐の風見藩へ向かいます。情報どおり、風見藩に藩主はおらず、冷飯たち数人の行方もしれず、お城は六波羅という身元の怪しい武士に乗っ取られそうになっています。お仙の兄の一八も、六波羅に心酔している様子。めだか姫は、六波羅を倒し、直重を救出し、風見藩を守れるのか?

いくらなんでも、兵をきたえ上げ、大砲を準備し、そのあげくの出女って、そうとうまずいんじゃ?藩主の行方不明より、めだか姫の大冒険のほうがよっぽどやばいんじゃ?と、現代人の私でも、思うところですよ。でも、そんなことはおかまいなく、平気でやってしまうんですよね、この姫は。っていうか、この父娘は。弱小風見藩が、こんなめだか姫を正室に迎えてしまったことで「穏やか」とか「つつましく」とか「平凡」とかから、どんどん離れている気がしますが、それはめだか姫のせいだけでなく、あの甘い父のせいもありますよねー。めだか姫の一存で、そんな大金が動かせるのであれば、もうちょっと有効利用して、藩政をうるおせばいいのに・・・と、思わなくもありません。

そして、私的に今回の大ヒットは、数馬さまふたたび!でした。嬉しい!嬉しすぎる!でも彼のキャラクターは、脇役で光るほど強烈ではないので・・・っていうか、めだか姫がいたら、他はみんなかすむので(笑)。ぜひ、いつかきっと主役クラスに抜擢して、スポットライトを当てていただきたい!ファンの切なる願いです。
| や行(米村圭伍) | 16:13 | - | - |
■ 退屈姫君伝 米村圭伍
退屈姫君伝退屈姫君伝
米村 圭伍

新潮社 2002-09

磐台藩五十万石の殿様、西条綱道の末娘として溺愛されて育っためだか姫は、たった二万五千石の超貧乏な風見藩に嫁ぎました。夫が参勤交代で国許へ帰ってしまうと、退屈しためだか姫は、ちょっとした冒険をしようと思いつきます。

めだか姫のキャラクターがものすごくいいんです。夫にまでいまだに「姫」と呼ばれてしまうような天真爛漫な無邪気さが、本当に可愛い。文字通りのお姫様育ちで、世間知らずなのに、我が儘だったり、贅沢だったり、傲慢だったりはしないんです。貧乏な藩に嫁いで、明らかに生活レベルが下がってしまっても、怒ったり、不貞腐れたりはせず、できるだけ楽しく暮らそうとする。『風流冷飯伝』の数馬たちにも通じるところがあります。めだか姫は本当に風見藩にぴったりのお嫁さんですね。身分の上下にとらわれず、くノ一のお仙ちゃんを初めとする下々の者たちとも、最後にはなんと将軍家治さまとも、お友達になってしまうような所も素敵です。

そんなめだか姫と、愉快な仲間たち(笑)が、「風見藩上屋敷の六不思議」を解いたり、磐台藩と風見藩とのあいだの密約について調べたりと、江戸の町を舞台に大活躍をする物語。からっとした、底抜けに明るい、楽しい本でした。前作よりさらに、落語のような講談のような独特の語り口が効いていて、あっちこっちで笑えました。
| や行(米村圭伍) | 15:22 | - | - |
● 風流冷飯伝 米村圭伍
風流冷飯伝風流冷飯伝
米村 圭伍

新潮社 1999-06

江戸の幇間である一八は、わけあって四国讃岐の風見藩という小藩にやってきました。城の見えるところまで来ると、道行く人が皆、妙な顔つきで自分を見ている事に気がつきます。そんなときに、通りがかった飛旗数馬という武士が、この藩では男は城を右回り、女は左回りで歩く、というしきたりを教えてくれました。風見藩には、先々代の藩主の気まぐれで、奇妙なしきたりがたくさんあるのです。

一八と、数馬と、数馬を初めとする風見藩の冷飯、つまり武家の次男坊たちの物語。藩内で起こる出来事を見物するのが趣味という数馬と共に、一八も色んな事件に顔をつっこみ、冷飯たちと知り合い、やがて「将棋所」をめぐる藩の大騒動に巻き込まれることになります。

天下泰平の世の中で、武家の次男、三男に生まれてしまったばっかりに、婿入りでもしない限りは仕事にもありつけず、肩身もせまく、金もなく、暇をどうつぶすかに苦心する。そんな冷飯たちが、それぞれにいい味を出しています。ちょっと哀れで、すごくおかしい。特に数馬は最高です!苛立ちもせず、くさりもせず、争いを好まず、常に飄々としているっていうか、かなりの天然ボケ。江戸っ子の一八のツッコミも、暖簾に腕押し、って感じで・・・数馬さま、タイプだなあ(笑)。ファンになっちゃいました。

まったり、のほほんとした本で、この雰囲気が大好きです。意外に読みやすくて、笑える時代小説でした。ちょっとサービスシーンが多すぎるような気はしますけど。いえ、私は別にサービスされてませんけど・・・男性ならニヤリとしそうなエッチなエピソードが満載。私もニヤリとはしましたけど、これさえなければ、もっと大声でオススメです!と叫べるし、女性や子供もターゲットに宣伝できるだろうに、と、残念な気がします。
| や行(米村圭伍) | 17:24 | - | - |
● 第三の嘘 アゴタ・クリストフ
第三の嘘第三の嘘
アゴタ クリストフ Agota Kristof 堀 茂樹

早川書房 1992-06

『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』のネタバレがあります。

ふたごの少年が戦時中の自分たちの生活を書き残した「大きな帳面」の内容が、シリーズ第1作目の『悪童日記』でした。第2作目の『ふたりの証拠』では、国境を越えなかったほうの少年、リュカが主人公になり、クラウスの存在は周囲の人たちの証言によって否定されます。それだけでなく、書き残された文章は、すべてリュカ(あるいはクラウス)による創作なのではないか、と、におわされて終っています。

そしてこの『第三の嘘』です。時は冷戦終結後。ふたごは50代になっています。ふたごのどちらもが語り手となって「わたし」という一人称で話す上に、過去を回想したり、くりかえし夢を見たりと、ややこしい。ちょっと混乱させられますが、それがこの作品に、どこか幻想的な雰囲気を作り出しています。同じシリーズなのに、『悪童日記』とも『ふたりの証拠』とも違う演出をされた本です。

第1部は『ふたりの証拠』の続きから始まり、語り手は病気になって亡命先から帰ってきたクラウスです。しかしこのクラウスが回想する少年時代は、『悪童日記』とはまったく違います。彼は、ふたごの兄弟がいたという記憶はあるものの、1人病院で育ち、その後「おばあちゃん」と暮らし、「大きな帳面」を書き、亡命しました。そして彼は、それ以降クラウスを名乗りましたが、もともとは、本当の名前はリュカだったのです。

第2部の語り手は、国境の近くの小さな町に残ったほうのふたご、クラウスです。彼は自分の家族が離れ離れになったいきさつを知っており、母親と共にリュカを待って、リュカのいない人生を生きて、詩人になりました。しかし、やっとリュカが会いに来たとき、クラウスはリュカを拒絶するのです。哀しすぎる結末です。

どの部分を誰が書いたのか。どこからどこまでが虚構の世界で、どこからどこまでが現実なのか。本当は誰がどの人生を生きたのか、あるいは生きなかったのか。シリーズ最終巻のタイトルが『第三の嘘』なのですから、すべては確定することがないままです。でもまあ私個人としては、素直に『第三の嘘』を完結編であり謎解き編であるとみなすことにしました。だって、どこまでが本当でどこまでが嘘か、なんて言い出したら、小説なんだから全部嘘に決まってます。それに、シリーズを完結させる本として、『第三の嘘』はすごく面白かった。『悪童日記』も『ふたりの証拠』も、続編を想定して書いたわけではないそうで、あの2作をきちんと連結し、シリーズ全体に整合性を持たせたんですから、『第三の嘘』はすばらしい完結編だと思います。あとづけでこれだけの構成を作れるっていうのは、すごい思考力ですよね。力技!

もちろんつじつまが合っているというだけで喜んでいるのではありません。『悪童日記』は、やはり三部作の中で飛びぬけて魅力的で衝撃的な作品でしたが、三部作の一部になって、魅力が倍増している気がする。1度目は大人のための寓話として、三部作を読んだ後はその一部として、違う種類の感動が味わえる。『悪童日記』が2度おいしいって感じです。

ふたごの悲劇は『悪童日記』以来読者が信じていたように、戦争で始まったものではありませんでした。それは戦争に比べればずっと小さくて平凡な、1つの家族の崩壊という事件から始まったのです。リュカは言います。
私は彼女に、自分が書こうとしているのはほんとうにあった話だ、しかしそんな話はあるところまで進むと、事実であるだけに耐えがたくなってしまう、そこで自分は話に変更を加えざるを得ないのだ、と答える。私は彼女に、私は自分の身の上話を書こうとしているのだが、私にはそれができない。それをするだけの気丈さがない、その話はあまりにも深く私自身を傷つけるのだ、と言う。そんなわけで、私はすべてを美化し、物事を実際にあったとおりにではなく、こうあって欲しかったという自分の思いにしたがって描くのだ、云々。
あのとんでもない『悪童日記』が、美化されたものなんですって。こうあって欲しかった自分なんだって。なんかどうしようもなく切なくなりますね。彼らはどれだけ孤独で、どれだけ絶望していたんでしょう。なんでそこから抜け出せなかったんでしょう。

この三部作は自伝的要素が強いので、どうしてもその方面から読まれ、語られることが多いようですね。著者の様々な記憶や経験が、物語のどこにどのように反映しているのかをあげつらうような。訳者あとがきからしてそんな感じなので、読者も影響されますよね。それに、完結編のタイトルが『第三の嘘』である以上、これが「真相」であると言い切れる「正解」が、読者にはもたらされないので、どうしても興味が著者のほうに行ってしまうのでしょうね。

でもわたしは、小説を読むときは小説の世界に入り込みたいタイプなので、そういう読み方は好きではありません。著者の事情とか背景とかは抜きにして、まずは純粋に小説の楽しさだけを追求したい。まずはね。この三部作は純粋に、小説として面白かったです。自伝的側面については、いつか彼女の自伝を読むときに考えてみたいと思います。
一冊の本は、どんなに悲しい本でも、一つの人生ほど悲しくはあり得ません
| 海外 | 20:49 | - | - |
● ふたりの証拠 アゴタ・クリストフ
ふたりの証拠ふたりの証拠
アゴタ クリストフ 堀 茂樹

早川書房 1991-11

この記事には『悪童日記』のネタバレがあります。

シリーズものの2作目、3部作の真ん中、ということで・・・あんまり期待しないで読みました。1作目の『悪童日記』が、なにせ衝撃的な本だったので、似たようなことをやられても、もう驚かないぞー、なんて、多少、意地の悪い気持ちで手にとりました。

でも、よかった!やられちゃいました〜。そうきたか!って感じです。まぎれもなく続編でありながら、1作目とは違う衝撃を受けました。この作家さん、本当にすごいわ。

この本は『悪童日記』のラストで分かれた「ぼくら」の片割れ、国境を越えず、おばあちゃんの家に戻った、リュカのその後の人生を描いています。戦争は終っても、共産党の独裁政権下で、全体主義体制が成立した事により、様々な自由が奪われ、理不尽な暴力はなくならず、町は活気を失っていきます。クラウスと分かれたリュカは孤独です。誰と知り合っても、誰と暮していても、心を許してはいません。心情描写は、前作と同様に皆無なのですが、読みすすめればすすめるほどに、リュカの孤独感と絶望感が深まっていくのを感じます。

そして、最終章までたどりつくと・・・。ああ、やられた!これ以上のことは書けません。

『悪童日記』のラストシーンについて、この本のあとがきに、こう書いてありました。なるほどー、ってことで、覚え書き。
大人になる過程で訪れる自己同一性の危機、有限の個と他者の関係、戦後ヨーロッパの東西分割などを同時に象徴するような、あっさりと叙述されているだけに却ってリアルな「別離」のシーンだった。
| 海外 | 20:48 | - | - |
チェケラッチョ!! 秦建日子
チェケラッチョ!!チェケラッチョ!!
秦 建日子

講談社 2006-02

映画化もされた、青春ラブ&ラップストーリー。今さら読みました。沖縄が舞台というのがいいですね。内容によく合っていて、いい雰囲気が出てました。

ただ・・・うーん。うーん。とりあえず私は、素人の下手なラップなんて、たぶん聞いていられないだろうと思うんですよね(笑)。心が狭いのかなあ。耳と頭が痛くなって、耐えられないような気がする。だから、そのあたりで、物語に最後までのりきれず・・・。

恋愛方面では、主人公である唯の姉、ミナ姉の恋愛と結婚がかっこよくて、幸せそうで、羨ましい!と、思いました。ミナ姉はいい女でした。

でも、肝心の唯たちの恋愛模様には、リアリティが感じられなくてやはりのりきれず・・・。秦建日子さんって、男性?女性?今まで考えたことがなかったけど、この本を読むと、男性っぽいな、と、思いました。この年頃の女の子目線で、恋愛を描くのに、無理があるような気がしたんですけど。

唯が年齢のわりに、恋愛方面で子供すぎるし無邪気すぎるんですよねー。奥手とはまた違う、子供っぽさ。唯は、少年漫画の中にだけいる、理想の恋する乙女って感じです。明るくて、元気で、わかりやすくて、可愛らしい。

唯よりちょっと年が下の、ローティーンの女の子たちは、この本が好きかも、と、思います。唯の健気な恋に、素直に気持ちを重ねられると思います。そんな瑞々しいお年頃が、もんのすごく遠くなってしまった私には・・・ちょっときびしかったです。
| は行(秦建日子) | 20:32 | - | - |
■ 冬至草 石黒達昌 
冬至草冬至草
石黒 達昌

早川書房 2006-06

□ 希望ホヤ
小児癌に苦しむ娘を治したいと、医者でも科学者でもない父親が、癌治療の研究を始めました。彼の研究がもたらした、誰にとっても予想外の結末とは?やるせないストーリーでした。

□ 冬至草
第二次世界大戦直後まで、北海道に生息していた、冬至草という植物。ウランを含んだ土壌に生息したため放射能を帯び、夜間に発光した、という記録もあります。この幻想的な植物の研究に、異常なほどの情熱を傾けた、市井の研究者の物語。異様で、壮絶です。

他に、
△ 月の・・・
□ 目をとじるまでの短い間
△ デ・ムーア事件
△ アブサルティに関する評伝

全体として、たしかにSFなのだけれど、物語のたたみ方がSF的ではないものばかり。テイストとしては、純文学っぽいです。巻末の初出一覧を見たら、「希望ホヤ」以外、文芸誌に発表されたものが多く、やっぱりなあ、という感じでした。

なんだか惜しい本なんです。もう一歩どこかが突き抜けたら、ものすごい作品が生まれそうな気がする短編ばかりなんですけど・・・。

著者は、医師として成功していらっしゃる方らしいので、理系の用語や薀蓄などは、読者に合わせて努力しておさえていらっしゃるのでしょう。それが少し窮屈で不自然な印象があります。百科事典や論文の丸写しのような専門用語の羅列で、理系の雰囲気を演出しているだけの、読者を上から見下ろしたがっているような小説よりはずっとずっとましで、好感度も高いので惜しいです。

ネタは面白いし、イメージは美しくて哀しくて、私が好きなタイプの小説なので、それを描写する文章に、もうちょっと飾りや遊びがあってもいいんじゃないかなあ、と、思いました。無駄のない淡々とした筆致ではあるのですが、あと一歩で、「静謐」とか「研ぎ澄まされた」とか、そんな雰囲気の文章になりそうなんです。

生意気な感想で、大変申し訳ない。でも、すごく、将来性に期待しています。他の作品も、きっと読みます。
| あ行(その他の作家) | 11:16 | - | - |
● 階段途中のビッグ・ノイズ 越谷オサム
階段途中のビッグ・ノイズ階段途中のビッグ・ノイズ
越谷 オサム

幻冬舎 2006-10

面白かった〜。こういうのは大好き!

先輩二人が麻薬所持でつかまり、伝統ある軽音楽部に、学校側から廃部命令が出ました。たった1人残った2年生部員、啓人は、幽霊部員だった伸太郎の熱意に引きずられるように、軽音楽部を残すため、大好きな音楽を続けるため、文化祭のステージを目指して、戦いはじめます。

先輩たちの素行の悪さから、学校中の鼻つまみ者になってしまい、軽音部は前途多難です。バンドを組めるだけのメンバーはなかなか揃わないし、顧問を引き受けてくれる先生もみつからない。やっと活動をはじめても、練習場所は暗くて暑い階段で、先生たちも他の部の生徒も、彼らの活動を良く思っていないので、妨害が続きます。でも、そんな中でも彼らは諦めず、逆境をはねのけて音楽を続けます。

4人のバンドメンバーも、彼らの周りの女の子たちや先生も、個性的で素敵でした。個人的にはドラムの徹の素直さにメロメロです。別の意味で、加藤先生にはクラクラです。

ストーリーは定番の青春ストーリーだけど、時代設定はヒップホップ全盛の現代で、でも彼らのやっているのは、懐かしの70年代ロック。幅広い世代の人が楽しめる1冊ですね。そうそう、『ぎぶそん』伊藤たかみ を思い出しました。

大人も読める、爽やか青春小説。映画のウォーターボーイズの頃から、小説にもこのテイストが増えている気がするのですが・・・気のせいでしょうか。流行でしょうか、それとも、たまたま、私の目につくことが多くなってきただけでしょうか。どちらにしろ、私はこの手の小説が大好きなので、喜ばしいことです。
| か行(その他の作家) | 13:15 | - | - |
| 1/4PAGES | >>