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■ ボトルネック 米澤穂信
ボトルネックボトルネック
米澤 穂信

新潮社 2006-08-30

懐かしくなんかない。爽やかでもない。
若さとは、かくも冷徹に痛ましい。
ただ美しく清々しい青春など、どこにもありはしない。

帯より。
必要があるかどうかわかりませんが、一応、ネタバレ警報を出しておきます。

今度の米澤さんは、パラレルワールドSF。元SF少女の私は、数々のパラレルワールド小説を読んできたと思うんだけれど、こんなに救いがなく、後味の悪い作品は初めてです。米澤さんの作品だから、最後になにかどんでん返しで、一気にすっきりさせてくれるだろう、なんて思っていたら、みごとに裏切られました。最後の最後まで、とことん救いのない物語です。

主人公は、嵯峨野リョウ。パラレルワールドは、ほとんど自分の世界と同じで、ただ、自分が生まれなかった世界でした。

リョウの世界では、嵯峨野家に長男が生まれた後、二人目の子供の流産があって、その後次男としてリョウが誕生したのですが、パラレルワールドでは流産はおこらず、その子がサキという名前で立派に成長しており、だからリョウは誕生しなかったのです。

自分の存在する世界と、自分の存在しない世界の「間違い探し」をしながら、パラレルワールドで3日間を過ごすリョウ。その間のほとんどを、天真爛漫で、頭が良くて、明るいサキと、ほんものの姉弟のように過ごすので、雰囲気的には暗い本ではありません。読みやすい本です。

でもリョウは、その3日間でたくさんのことを知ります。自分にはできなかったけれど、サキは両親の不仲を解決できた。つぶれかけた店も立ち直らせた。サキの世界では、恋人も兄も死なずに生きている。自分のいない世界は、何に関しても、自分のいる世界より良い。リョウは、自分は世界のシステムの効率を悪くする「ボトルネック」である、と、実感してしまうのです。そして、「もう生きていたくない」と、思ったところで、元の世界に戻されます。

大人である米澤さんは、どんなつもりでこの本を書かれたのでしょうか。この本は、ある種の人間にとっては、凶器だと思います。

レーベルは別にライトノベルではありませんが、内容的には、ラノベと言っていいと思います。若者向けの本です。でも私は、成長期の若者に、この本を読んでほしいとは思いません。もし、自分に関わりのある子がこれを読んでいると知ったら、心配になると思う。元々心の弱い子なら、つられて自傷・自殺しかねない内容です。そうでなくても、人間なら誰でも、心が弱くなる時ってあって、若者には特にその波が激しい。

いい年をした大人の私でも、最後まで読んだ後、かなり滅入りました。世の中に、自分の存在は正であり善であると、確信できる人がどれだけいるでしょうか。この本は、「お前は生きていてもいいのか」と、しつこく問いかけてきます。その問いに、「もちろんだ!」と自信を持って答えられる人間が、どれだけいるでしょうか。特に、米澤さんのファン層である、比較的若くて読書が趣味である人、の中には、少ないのではないでしょうか。

そういう意味では、この本は、読者の共感を呼ぶかもしれない。読者の心に残るかもしれない。名作かもしれない。でも、私は、子供にも、若者にも、大人にも、老人にも、誰にもオススメできません。「この本は存在していてもいいのか」と、考え込んでしまうような内容でした。

帯にこんな文章があります。
青春を描くには二つの方法がある、と勝手に言い切ってしまいます。一つは「過ぎ去って初めて分かることがある」という大人の視点で物語を進めるもの。もう一つは「渦中にいなければ感じ得ないこともある」という、同じ目線で若さを描くもの。青春から遠のくほど「等身大」からは離れるわけですが、米澤穂信は後者の青春を描かせたら右に出る者なし、とずっと思っていました。本書はその集大成。若さ特有の「痛々しいオーラ」が横溢する、紛れもなく「現在進行形の」青春小説です。
まったく、その通りだと思いました。

米澤さんは、若者の心に帰って、自分の頭の中できたこの物語をそのまま描いたのでしょう。青春真っ只中というのは一般的に、主観的で、自分がすることが周囲に与える影響について、あまり考えないものです。この本は「読者を楽しい気持ちにさせよう」と思って書かれたものではないことは明らかですが、「こんなことを考えてくれるといいな」とか、「こんなことを感じてくれるといいな」とか、そういう計算も、ほとんどない気がします。(もしかして、もしかしたら「若者よ、能動的に、積極的に生きよ」というメッセージが込められているのかもしれませんが…。そのメッセージを伝えたいのであれば、あの終わり方は、なしでしょ、と、思う。)

青春時代に戻った(今の?)米澤さんの、自己表現なのかもしれませんね。小説による自己表現というのは、よくある事だと思います。というか、それこそ文学の王道ですよね。それから、絶望をテーマにした文学も、たくさんあります。でもそれを、娯楽小説の中でやられてしまったところに、米澤さんのファンの1人として「裏切られた〜」って思うんです。そういうことは純文学の世界でやってくれよ、みたいな・・・。日ごろは、ジャンルわけなんてくだらない!と、主張しているにも関わらず・・・。我ながら、矛盾しているんですけど。

まさに、大人ではなく、若者の発想で作られた本だと思いました。悪い言い方になってしまうけれど、大人気ないと言うか・・・。私は毎日中学生や高校生を相手にバイトをしていて、バイト仲間には大学生もいて、中には不登校や拒食症の子もいるし、米澤さんの本を読んでいる子もいます。彼らが、妙なタイミングでこの本を読まないでくれるといいなあと思ってしまう。そんなわけで今は、この本に良い印象が持てません。

でも、この本を「そういう本だ」と認識した上で再読したときに、自分がこれを「傑作だ」と思ってしまいそうで、それがちょっと・・・複雑な心境です。

感想を一言で言うと、複雑。これにつきます。
| や行(米澤穂信) | 00:14 | - | - |
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