再読。この本、大好きなんですよ。歴史検証コメディ。
歴史好きにはたまらない一冊です。
□ 悟りを開いたのはいつですか?
○ 邪馬台国はどこですか?
○ 聖徳太子は誰ですか?
□ 謀反の動機はなんですか?
△ 維新が起きたのはなぜですか?
奇跡はどのようになされたのですか?
本当に歴史に詳しい人なら、あまりに荒唐無稽で失笑物の一冊なんでしょうけれど。(私も、さすがに、「奇跡はどのようになされたのですか?」はあまりにも荒唐無稽で、受けつけませんでしたから。「ダ・ヴィンチ・コード」以上に、そんなわけねーっつうの(笑)。)
でも、どこからどこまでが信憑性のあるうんちくで、どこからどこまでが許される範囲の仮説で、どこからどこまでが絶対にありえない嘘なのか、まったくわからない、煙に巻かれた感じが、たまらなくいいんですよね。
歴史が好きだということは、もちろん、暗記が好きだってことじゃないんだよなあ。記録に残っているわずかな事から、記録には残っていないたくさんのことを、ああでもないこうでもないと想像するのが楽しいの。それは単なる想像であってはいけなくて、現存している証拠や、現在の状況と一致していなければならない。正解のないクイズを解く感じ、あるいは、なんらかの創作活動に近いんですよ。
それを楽しむための基礎知識として、中学・高校の授業では、ある程度の暗記が求められているのでしょうが・・・。順番が逆のような気がしてならない。呪文のように用語を覚えて、語呂合わせで、年号や人名を覚えて、テストが終ったら全部忘れて・・・。こんな教え方じゃあ、歴史好きの子供は減っていく一方だよな、と、思う毎日(私、あるときは塾講師なのです。)
この小説のような楽しみを味わわせてあげられるような、歴史の授業が出来たらいいのに。最低限の知識とヒントをあげて、そこから想像あるいは妄想OKの授業をするところから、歴史の授業が始められたら、歴史嫌いの子供が減ると思うんだけどなー。暗記なんて、ぜーんぶ後回しにしてさ。年号暗記なんて、大学生くらいになってから、史学科の人だけがやればいいんじゃないの?っていうか、電子辞書があれだけ小型化した今、暗記をする必要性がまったくわからない・・・。