真保裕一さんの大長編。著者渾身の力作、といった感じです。第二次世界大戦前後のアメリカを舞台に、日系アメリカ人の若者たちが、それぞれの思いを胸に米軍に身を投じ、戦う物語です。
戦時中のアメリカの日系社会、そして戦場という、どちらもかなり特殊な環境。登場人物は、日系人、あるいは日系兵という、非常に複雑な存在。この本を書くために費やされたであろう、膨大な調査の労力に、敬意を表します。また、現代の日本人とはまったく違う価値観と環境の中で暮す、たくさんの登場人物それぞれの人物像をきっちり作り上げ、それぞれの心情をリアルに描いた想像力に感服しました。読者を一瞬も飽きさせず、この長い小説を、一気に最後まで読ませてしまう、ストーリーテラーとしての真保さんの才能にも、あらためて感服です。重い内容であり、それに見合った硬い文体であるのに、読みやすい、という文章の上手さもすごいです。
戦時中の話ですから「戦争の悲惨さと平和の大切さを感じる本」ではありました。もちろん「人種差別」も大きなテーマでした。でも、この本はそういった単なる「戦争文学」とは違います。ただの「戦争文学」を描きたかったのであれば、もっとドラマチックなエンディングを真保さんなら用意できたと思います。また、作中のとある殺人事件と、その結末は、必要のないエピソードになってしまいます。この本で描かれたのは、それではない(それだけではない)と私は感じます。
この作品には実にたくさんの切り口があって、読み方は人それぞれだと思います。著者は常に登場人物から距離を置き、淡々とした筆致で物語を進めます。読者は、「泣きなさい」「笑いなさい」「考えなさい」などと押し付けられることはありません。戦争とか人種とか、難しいことは考えずに、「昼ドラ」やアクション映画を見る感覚で、登場人物の運命に一喜一憂して、ただ楽しむことだってできるでしょう。それでも、どんな切り口で読んでも、心を揺さぶられる何かがある感動本です。いい意味で、極上のエンターテイメント小説なんです。
「長い」そして「小学館」という点が足をひっぱらなければ、直木賞をとった!と断言したいくらいです。とりあえず、いまのところ、私の2006年のナンバー1ブックです。だから、「戦争もの?恐いし、暗いし、読みたくない。やーめた!」っていうのは・・・もったいないですよ。本当にオススメです!
主人公は、3人の日系二世の若者です。
アメリカ本土のリトル・トーキョーで育ったジローは、早くに父親を亡くしたため、日本にいる母親の親戚に預けられ、18才までの9年間、日本の教育を受けました。しかし、親戚には邪険にされ、学校では苛められて、アメリカに戻りました。日本には良い思い出がありません。自分がアメリカ人であることを強く意識した彼はアメリカに戻りますが、母親には受け入れられませんでした。ジローは帰国と同時に日本国籍を捨てましたが、日系人の狭い社会にも背を向けて、人種差別と戦いながら、一匹狼の底辺労働者として日々を送っています。
ヘンリーは、リトル・トーキョーで成功している日系人一家の息子です。家業が日系人相手のレストラン経営という事で、必要に迫られて日本語学校に通いましたが、日本語は上手くありません。彼は、アメリカ人としての教育を受け、アメリカの社会で白人たちと肩を並べようと、努力してきました。環境にも能力にも恵まれ、大学の卒業と同時に、銀行への就職が決まっています。
ジローには、ケイトという恋人がいます。日系二世ですが、自分が日系人であることを嫌い、白人たちが集まる酒場で遊ぶことを好みます。しかし将来有望なヘンリーにプロポーズされると、ジローに別れを告げます。日系人の中でも、ヘンリー一家のように豊かな者と、ジローのような貧しい者の間に、格差が広がりつつありました。
ハワイにも、たくさんの日系移民が住んでいます。特に多くの白人学生が本土の名門大学を目指してハワイを離れてしまうので、大学での日系人の割合は4割にもなります。マットはハワイの大学に通う日系人大学生で、ローラという白人の恋人と将来を誓い合っています。彼は、今では家業の薬屋が軌道にのっていますが、子供の頃は貧しく、ジローと同じように日本の親戚に預けられていました。彼らのように、アメリカでの生活の貧しさから、日本の親戚に預けられた経験のある子供たちは「帰米」と呼ばれ、英語が母国語でありながら日本語も堪能で、両方の国で暮らしたことがある、複雑な存在です。
物語の始まりは、1941年12月。日本の真珠湾攻撃と、その後の宣戦布告による日米開戦の月です。戦争は、ジロー、ヘンリー、マット、3人のすべてを変えてしまいます。ジローは開戦直後の混乱期に、とある事情で幼馴染のポールをかっとなって殴り、殺してしまいます。その直後、彼の日本語力を知った陸軍情報部のスカウトを受け、逃げるように西海岸を離れます。ヘンリーは決まっていた職を失い、反日感情による投石で婚約者のケイトを殺され、夜間外出禁止令に抗議しようとして逮捕されます。マットとマットの父親も、いわれのないスパイ容疑で逮捕されます。
戦争は容赦なく、日系人を追い詰め、この後も3人には次々に新しい試練が降りかかります。ジローは、日本人の顔をしているという理由で味方からも攻撃されかねない状況の中、語学兵として最前線におくられます。ガダルカナルで捕虜の尋問を担当しつつ、実戦にも参加することになりました。マットはハワイのおおらかで陽気な仲間たちと共に、アメリカ人として認められようとボランティアの肉体労働を続け、ついに日系部隊の1人として認められます。ヘンリーはすべてを失って日系人キャンプに強制収容されましたが、そこから米軍に徴兵されます。アメリカへの忠誠心を証明するため、彼らは、志願兵とならざるを得ず、最も危険な任務につき、最も激しい戦闘地域へおくられることになります。
そうして、戦争が終わりに近づく頃、3人の運命は、交錯し始めます・・・。
日本の移民政策や、日系移民の歴史について、あるいは、第二次大戦での日系語学兵や、日系部隊のヨーロッパ戦線での戦いについて、まったく予備知識がない人にとっては、興味深い記述がたくさんあり、勉強になる本だと思います。私にはある程度の予備知識があったのですが、それは学生時代に勉強したこと以外に、以下のような本を読んでいたからです。再読したくなったので、記憶にある分だけでも記録しておきます。
・戦場に残された日記―ガダルカナルから帰還した「魂のタイムカプセル」 勝見明
・ハワイ日系二世の太平洋戦争 菊地由紀
・ヤマト魂―アメリカ・日系二世自由への戦い 渡辺正清
・七月七日 古処誠二
・接近 古処誠二
さて、大変難しいのですが、この本についての個人的な感想を書いてみたいと思います。
まずは、登場人物を誰も嫌いになれないという事です。特に主人公の3人は、3人とも大好きです。読み終えたばかりの今は、3人とも、本当に生きていた人物のように感じています。平和な時代に日本から一歩も出ることなく生きてきた私に、彼らの感情が分かるはずもないのに、3人共に共感できるのです。戦争がなければ、ジローは孤高を保ち、ヘンリーは成功を追い求め、マットは仲間たちといつまでも笑いあって、かっこよく生きていったかも知れません。しかし、戦争は容赦なく、彼らの人間としての弱さやずるさをあばきました。
読み始めてしばらくは、ケイトの計算高さが嫌いで・・・。ずっと彼女があのまま活躍し続け、ジローやヘンリーを振り回すようだったら、どうしてやろうかと思っていました。でも、彼女の両親の描写を読み、彼女が死に至った経過を読むと、彼女のことも、かっこいいと思えます。ポールも、ジローの母親も、同じように嫌いにはなれません。
この本では、非常事態にあらわになってしまう、人間の本性というものも、大きなテーマになっています。嫉妬し、憎しみ合い、人の不幸を喜び、保身のために嘘をつき、恐怖に脅えて過ちを犯す。かと思えば、柄じゃないような善行を、命がけで行ったりもする。悪行にも善行にも、深層心理下での理由がある。それをこの本は、淡々とした筆致ではありますが、しっかり見つめ、抉り出しています。でもこれは「戦争の悲劇」ではなく、たまたま戦争があったから、悲劇的な形で表面化しただけの、どこにでもある人間模様であり、誰もが持っている「エゴ」っなんですよね。なんだか、痛いです。
それから、この本には「愛国心」という大きなテーマがあります。日本を知らず、迷いもなくアメリカに忠誠を誓うことの出来る二世も登場すれば、日本人の誇りを胸にアメリカでの労働に耐え、自分たちを攻撃する日本を愛する一世も登場します。日系人の中でも、2つの国に対する思いは人それぞれで、複雑です。しかし、彼らはアメリカへの「愛国心」を証明するよう要求されます。
彼らを描くことで、過去、そして現在に至る世界の中の日本の位置を客観的に描いた上で、さらに、日本人自身が日本人として持つべきアイデンティティに対して、問題提起をしている小説、と、私は感じました。日本でも「愛国心」を育てる政策が、たびたび問題になっていますが、この本は日本に対して、それ以前の問題を投げかけている気がします。つまり、日本は日本を知っているのか、という点です。世界の中で日本がどんな国であるのか。それぞれの国や民族から日本はどんな国に見えるのか。日本は自覚しているのか。その自覚は正しいのか。
どんな日本を、どのように愛するのが、正しいのか。歴史上のある時期、日本人の「愛国心」は日本を軍国主義という間違った方向に走らせ、侵略戦争という悲劇を生みました。だとしたら、現在、日本人が日本を愛する気持ちは、正しい方向に作用しているのか。祖国を愛する自然な感情を、間違った方向に利用されないために、日本人1人1人が、それを時々立ち止まって考えるべきなのでしょう。
作中で、アメリカでのマイノリティとしての日系人は、何度も、世界の中の日本になぞらえられます。白人と肩を並べたいと背伸びをし、せめて認めてもらいたいと媚び、そのくせ同じ肌の色をしたアジアの他の国を見下ろす。日系人たちが呆れ、自嘲的にわらった日本は、あるいは日本人は、今でもここに、あるいは自分の中に、いるのではないでしょうか。
間違った愛国心から戦争へと突き進んでしまった日本を見ながら、それ以前の日本で育ち、日本の文化の良い所を記憶に残し、日本を愛し、移民としてアメリカに渡った後も日本を慕い続けた一世の人々。そんなにも慕った日本からは捨てられ、米国には受け入れられず、異国の地で亡くなった彼らに、今の日本人はどう見えるのか。何度も考えさせられ、耳の痛い思いでした。
政府や政治のことはわかりませんが、個人として、自分の中には、間違った愛国心も、差別意識も、ない事を望みます。ない、とは言い切れません。でも、生まれつき差別意識のある人間なんていない。無知か、間違った教育から、植えつけられてしまうものでしょう。だとしたら、それを打ち砕くことも、その芽に気がついたらすぐつむ事も、きっと可能ですよね。
さらに、殺人の罪、というのも大きなテーマでした。もしかしたら、これが著者の意図したテーマなのかもしれないとも思います。ジローがポールを殺してしまったエピソードは、戦争と人種差別がテーマであれば必要がなく、浮いたエピソードですよね。彼はその後ずっとその記憶を背負い続け、人を殺すとはどういうことなのか、と、考え続けています。戦場においてたくさんの人を殺し、ジローは英雄になりました。でも、のちに彼は、ポールを殺した罪のために裁かれます。甘んじてそれを受け入れたジロー、彼の罪を知りながら弁護側の証人として彼に味方したマット、自らも前線で多くの敵を殺しながらジローを糾弾したヘンリー。立場は違っても3人は、自分の手が血で汚れていることを、生涯、背負って生きたのだと思います。
私の祖父は両方ともとっくに亡くなっていますが、戦争に行ったそうです。でも、その経験を、家族にもけして語りませんでした。2人とも、お酒が好きでしたが、どんなに酔って、思い出話に花を咲かせているときでも、戦時中の話はしなかった。祖父たちがどんなに重い物を背負っていたのかと、真実はもう誰にも分からないことですが、つい考えてしまいました。
それから、蛇足ですが・・・。太平洋戦争へのアプローチの方向という点で、古処誠二さんの最近の戦争文学たちと比較せずにはいられません。でも、個人的な感想としては、「栄光なき凱旋」が、頭1つ抜け出している気がします。