| 千年樹 荻原 浩
集英社 2007-03 |
木はすべてを見ていた。
ある町に、千年の時を生き続ける一本のくすの巨樹があった。
千年という長い時間を生き続ける一本の巨樹の生と、
その脇で繰り返される人間達の生と死のドラマが、時代を超えて交錯する。
ネタバレあり
とても良かった。
連作短編集です。ひとつひとつの短編がとても濃厚で、読み応えがあり、感動的で、粒ぞろいでした。どの短編も、過去と現代の二つの物語が並行して描かれ、登場人物の思いが時を超えて出会ったり、重なったします。雰囲気としては、暗くて重い物語ばかりなのですが、幸せで温かなエピソードも、適度に盛り込まれていて、その加減も絶妙でした。連作短編集としてはスケールの大きい大河ドラマにもなっていて、深い余韻の残る、名作。構成の妙にうならされました。
人間の弱さと愚かさと、それが招く絶望的で悲しい結末、どの短編でも、くすの木の周りで起こるのは、悲劇ばかりです。くすの木があんな形で「萌芽」したからそうなった、という設定なのかとも思いましたが、きっと違いますね。ネガティブな視点で見れば人間なんて、人間の社会なんて、そんなものなのかもしれません。あるいは、植物の視点で見れば、自分たちから勝手に搾取し、自分たちの住環境を破壊する「敵」としての人間は、お互いに傷つけあい、騙し合い、殺し合う、馬鹿で醜悪な生き物なのかもしれません。
でも、木は何をするでもなく、ただそこにいて人間たちを見つめるだけ。
文学の中に出てくる大木には、よく、温かさや包容力といったものがイメージづけられていますよね。大木が人間を憐れに思っているかのような。そういうイメージ付けが、この小説では、されていないように思いました。だからと言って、冷たさを感じるわけでもないのですが。感じられるのは、木の、圧倒的な存在感だけ。神の立場とでもいいましょうか、どんなに悲惨な人間ドラマにも左右されることなく、ただそこに在り続けるくすの木。
そんなくすの木にも最後の日というのはやってくる。無常感なんて言葉を、久しぶりに思い出しました。ま、最後の日で終わってしまうというわけではないのが、このくすの木のしたたかな強さで、この本で描かれていた人間の弱さに比べると、対照的でもありました。
□萌芽
国司の公惟は浅子に襲われ、負傷した体で妻と幼い子供と共に、山に逃げ込みました。くすの木の種がこの地にまかれた瞬間の物語。現代では、星雅也が岸本たちにいじめられ、くすの木のそばで自殺を考えています。
☆瓶詰の約束
太平洋戦争末期、町を空襲が襲います。小学生の誠次は、宝物の瓶を抱えて逃げ、くすの木のある神社にたどりつきます。現代では、その場所にある幼稚園が閉園しようとしており、そこで働く加奈子が、園児たちと共に、タイムカプセルを埋めようとしています。ラストシーンに向けて一気に引き込まれる、とても切ない物語でした。
○梢の呼ぶ声
14歳の時に売られて遊郭で働いてきたきよは、長内という客と恋に落ち、2人で逃げようと約束し、くすの木の下で長内を待ち続けています。現代編では、遠距離恋愛中の恋人・博人を、啓子が同じ場所で待ち続けています。過去編も現代編も、待ち続ける女の悲しくて辛い物語なのですが、そこに救いがないわけではない、そんな物語でした。
□蝉鳴くや
台所組舌役(つまりお毒見薬)の忠之助は、藩主の食事がすすまなかったことが原因で、理不尽にも、切腹しなければならなくなります。現代編では、中学教師の岡田が、くすの木を上司や生徒に見立ててナイフを突き立て、ストレス解消を図っています。
○夜鳴き鳥
親も、仲間もおらず、たった1人で旅人を殺し物取りをして生きてきたハチ。しかしある日、自分が殺した女が、自分の母親かもしれないと思うようになった彼は、彼女の死体と暮らし始めます。いろいろな意味で恐い物語だったのですが、ハチが可哀想で、強く印象に残りました。現代編では、ケンジが、ヤクザの堀井の命令で、岸本を埋めるための穴を、くすの木のそばにほっています。
□郭公の巣
貧しい小作の家に嫁いだトミが生んだ5番目の赤ちゃんは女の子で、だから、舅も姑も、あたりまえのように殺せと言います。トミは赤ん坊を鎮守の杜にある池に沈めるために出かけます。現代編では同じ場所に、子連れ同士で再婚したばかりの、ぎこちない家族が遊びに来ています。現代編が、非常に怖かった!
○バァバの石段
戦争中の物語。自由恋愛に憧れる19歳の昭子は、親が決めた相手と結婚することが決まってしまいました。現代編では、真樹が、祖母の遺品の中の手紙から、祖母の人生をたどります。この短編集の中で、一番明るく、一番前向きな物語でした。
□落枝
浅子と長尾の争いの中、幼なじみのクラを助けにいく千代丸の物語。現代編の主人公は、市役所に勤めるようになった星雅也。たびたび事故の原因となるくすの木に振り回されています。過去編も現代編も第一話の「萌芽」とつながっています。