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■ パパママムスメの10日間 五十嵐 貴久
パパママムスメの10日間パパママムスメの10日間
五十嵐 貴久

朝日新聞出版 2009-02-06
「パパとムスメの七日間」の続編。「パパとムスメの7日間」を読んだ時、とても楽しかったんだけど、母親が2人におきた異変にまったく気がつかず、小説の中でその存在があまりに軽く扱われている事が、納得できなかったんですよね〜。その不満が、ママも事件に巻き込まれたこの続編で解消されました。どうやら、もう続編は出なそう終わり方ですが、満足です。

彼らの住んでいる街は、私からするとほぼ地元、隣町って感じなので、彼らがあそこで今も、本当に暮らしているように感じます。地味だけど、いい家族ですよね。末永く、お幸せに。

そして、これもドラマ化してくれないかなあ。小説はちょっとインパクトが薄いんだよね。「パパとムスメの7日間」は映像化することで、物語がいい方向で膨らんだパターンだったので、ちょっと期待しておきます。
| あ行(その他の作家) | 21:46 | - | - |
セカンドムーン 上杉那郎
セカンドムーンセカンドムーン
上杉 那郎

角川春樹事務所 2008-02

細心の注意を払って打ち上げられたロケットが、制御不能になり、宇宙と大気圏のはざまで自爆せざるを得ない状況になるのですが、実は、それは「セカンドムーン」と呼ばれる、地球外生命体によって作られた兵器による攻撃だという事がわかり…

という、王道のSFでした。

SF大好きなんですけど、これは個人的に好みではありませんでした。この小説には、私がSFに求めるロマンが感じられない気がしました。UFOとか、異星人が出てきさえすれば、SFのロマンが生み出されるわけではないんですよね。異星人と人類との攻防を描いた小説は多いですが、この小説では、人類は一致団結することなく、それぞれの国益だけを求めて対立を続けます。その部分に力が入っているので、この小説はどちらかというと、軍隊とか、外交とか、そんな事にロマンを感じる人に受ける気がします。

そして、ヒロインがまったく魅力的に描けていなくて、引きました。国をあげたロケット開発事業のチーフを任せられるような、有能な専門家であるはずなのに、元恋人だの、兄だの、自分に思いを寄せる部下だのが近くにいると、「意地っ張りな所が可愛らしい普通の女」にいちいち戻る。感情的で、基本的な知識も知らなくて、すぐに誰かに頼るはめになり、重要な決断をしなければならない時にパニックを起こし、本当にもう、ありえない人物造形です。男性登場人物が魅力的に描かれているだけに、筆力の問題ではないと思うので…。

差別だ!蔑視だ!と怒るほどではないけど、はあー、こういう女が男のロマンなんですかね、と、溜息が出ちゃう感じ。もしかして、これは、あれかな。筆者が某女性防衛大臣が大嫌いだったとかそういう事かな(笑)。嫌いなタイプの女をヒロインにして、魅力的に描けるわけがないよなあ。

新人さんというのはびっくりでした。これを書くのは、体力がいりそうだ、そんな感じの小説でした。好みの本ではなかったけど、小松左京賞受賞には納得です。
| あ行(その他の作家) | 22:48 | - | - |
■ 甘栗と金貨とエルム 太田忠司
甘栗と金貨とエルム甘栗と金貨とエルム
太田 忠司

角川書店 2006-09-26

主人公は、探偵だった父親を亡くし、天涯孤独になったばかりの甘栗晃。甘栗は、父親が最後にしていた仕事の依頼人であった、エルムという少女に強引に押し付けられ、失踪したエルムの母親を探すことになります。

甘栗は、元々かわいくないマセガキだった少年が、背伸びをしたい盛りの高校生になった上に、一人になったことでさらに突っ張って、とっても可愛くなくなっている、といった感じです。でも、彼が「私」という一人称を使って書く地の文章には、ところどころで、「ああ、まだ、高校生なんだよな。」とか、「寂しいんだな。」とか、「がんばっちゃってるなあ。」という感じが滲み出ていて、可愛らしい。好感をもてました。

わがままなお嬢様、エルムも魅力的な少女でした。両親の大人の事情に振り回される子供、という典型的な役回りでしたが、存在感がありました。できれば、甘栗とエルムの交流シーンをもっと作って欲しかったような気がします。

ミステリィのわりにかわいらしい装丁は、最後まで読んでみると、内容に合っていると思えました。意味がわからなくて不思議で、そこが魅力的だったタイトルは、あまりにも「そのまんま」でちょっと笑ってしまいました。ストーリーは、ハードボイルドっぽいミステリィで、その面でもちゃんと楽しめますが、甘栗の瑞々しい成長物語として、いい感じ。これはYAレーベルで出したほうがふさわしかったんじゃないかと思います。
| あ行(その他の作家) | 01:53 | - | - |
■ 冬至草 石黒達昌 
冬至草冬至草
石黒 達昌

早川書房 2006-06

□ 希望ホヤ
小児癌に苦しむ娘を治したいと、医者でも科学者でもない父親が、癌治療の研究を始めました。彼の研究がもたらした、誰にとっても予想外の結末とは?やるせないストーリーでした。

□ 冬至草
第二次世界大戦直後まで、北海道に生息していた、冬至草という植物。ウランを含んだ土壌に生息したため放射能を帯び、夜間に発光した、という記録もあります。この幻想的な植物の研究に、異常なほどの情熱を傾けた、市井の研究者の物語。異様で、壮絶です。

他に、
△ 月の・・・
□ 目をとじるまでの短い間
△ デ・ムーア事件
△ アブサルティに関する評伝

全体として、たしかにSFなのだけれど、物語のたたみ方がSF的ではないものばかり。テイストとしては、純文学っぽいです。巻末の初出一覧を見たら、「希望ホヤ」以外、文芸誌に発表されたものが多く、やっぱりなあ、という感じでした。

なんだか惜しい本なんです。もう一歩どこかが突き抜けたら、ものすごい作品が生まれそうな気がする短編ばかりなんですけど・・・。

著者は、医師として成功していらっしゃる方らしいので、理系の用語や薀蓄などは、読者に合わせて努力しておさえていらっしゃるのでしょう。それが少し窮屈で不自然な印象があります。百科事典や論文の丸写しのような専門用語の羅列で、理系の雰囲気を演出しているだけの、読者を上から見下ろしたがっているような小説よりはずっとずっとましで、好感度も高いので惜しいです。

ネタは面白いし、イメージは美しくて哀しくて、私が好きなタイプの小説なので、それを描写する文章に、もうちょっと飾りや遊びがあってもいいんじゃないかなあ、と、思いました。無駄のない淡々とした筆致ではあるのですが、あと一歩で、「静謐」とか「研ぎ澄まされた」とか、そんな雰囲気の文章になりそうなんです。

生意気な感想で、大変申し訳ない。でも、すごく、将来性に期待しています。他の作品も、きっと読みます。
| あ行(その他の作家) | 11:16 | - | - |
■ 優しい子よ 大崎善生
優しい子よ優しい子よ
大崎 善生

講談社 2006-07-01

生と死を、優しく、柔らかく描いたノンフィクション。

○ 優しい子よ
大崎さんの妻で、棋士の高橋さんと、彼女のファンである1人の優しい少年の交流を描いた本です。その少年は、治る見込みのない血液の病気で入院中であり、子供の頃事故にあって足を悪くするという逆境に立ち向かってプロ棋士になった、高橋さんにあこがれています。死を前にした少年が、祈り続けたこととは?

ものすごーくベタな、よくある「いい話」。某TV局の24時間番組に取り上げられそうなエピソード。今年も、昔の、王貞治選手と病気の少年の交流が取り上げられていましたよね。あんな感じ。

ベタだ。ベタすぎる。背中がかゆい・・・と思いながら、やっぱり本当にいい話で、泣けてしまいました。感涙。

この作品集ではやっぱり、表題作が最高。それが冒頭にあったために、他の作品は印象が薄いです。他は他で、別の日に読むべきかも。

△ テレビの虚空
△ 故郷
□ 誕生

実は、あとがきの中にも、ひとついいエピソードがあって、すっかり涙腺のゆるんだ私は、あっさりやられてしまいました。

大崎さんのお父様は、大の本好きで、息子が作家になったことを誰よりも喜んでいたのですが、七十七歳にして白内障で、本が読めなくなったというのです。お父様は色々な病気で入院をされていることが多いようですが、大崎さんの本が出版されると、その本を抱いて寝るんですって。そうすればたとえ本を読めなくても、読んだ気持ちになるのだそうです。

「本が読めなくなったら生きていけない!」なんて、私はいつも言っているけど、もちろんそんなのは大げさで、実際には私は、映画やテレビを見たり、楽器を弾いたり、音楽を聞いたり、スポーツをしたり、何かを作ったり・・・それなりに楽しくすごせる別の趣味をいくらでも見つけられるだろうと思っています。でももし、病気になったり、老齢になって、先の見えない長い入院生活をしなければならなくなった時、本が読めなかったら、と思うと、かなり辛いと思う。他の趣味は、お金も体力も気力もいる。そのくせ、小説を読んでいるときほどは、現実を忘れさせてくれない。

わたしも子供の頃から身体が弱く、入院も何度かしているのですが、そのたびに両親が毎日図書館に通ってくれます。歩ける程度に元気になら、入院中でもこっそり病院を抜け出して、自分で近所の本屋に行っちゃいます。(見つかったらもちろん怒られます)。普段はあまり本を買わないので、私の本棚は、入院中に買った本の割合が、かなり高いです。

今日も本が読める事に感謝。
| あ行(その他の作家) | 09:17 | - | - |
■ 盗作 飯田譲治 梓河人
盗作(上)盗作(上)
飯田 譲治

講談社 2006-01-28

盗作(下)盗作(下)
飯田 譲治

講談社 2006-01-28

平凡な女子校生の彩子は、ある日夢に見た光景に激しく突き動かされて、たった一晩で一枚の絵を描きます。彩子にはもともと絵心などなく、デッサン力では美術教師に中の下と評価されるような腕しかありません。しかし、その日に書いた絵は絶賛され、多くの人を感動させ、大きな賞にも入選してしまいます。ところがその絵は、何年か前に発表されたモザイクアートと、まったく同じものだったことが、クラスメートで画家を目指す、紫苑によって明らかになります。彼女の作品には「盗作」のレッテルが貼られてしまいます・・・。

この体験を皮切りに、芸術と創作に振り回されて波乱の生涯を送ることになった彩子の一生を描いています。エンターテイメント小説としてはとても面白くて、長い話なのに読みやすく、スラスラ読めます。

「アナン」から連なる物語なのですが、スピリチュアル・ファンタジーという側面は、迫力が弱まった気がします。「アナン」では、あえて説明しないことで、読者が「何だかよくわからないけど、何かすごいものなんだろうなあ。」と思わされた、「アナン」「盗作」の世界での芸術や創造の本質というものを、一生懸命言葉で説明しようとしたのが、この「盗作」という本だと思います。言葉で説明できないものを、何とか言葉で説明しようとした結果、魅力が伝わらなくなってしまった、と感じました。(あ、でも、そういう点での描写には、努力賞をあげたい気はします。がんばってました!)

だから、「アナン」のそういう面に魅かれた人は、「盗作」は好きじゃないだろうなあ、と、思います。でも私は、「アナン」の超現実の部分にはあまり魅かれなかったので、「盗作」の、創作とは何かというテーマのほうが好きでした。「アナン」は、私もそれなりに好きな本ですが、主に、アナンと父親との強い絆や、アナンを愛する周囲の人たちとの温かい交流が印象的で、それから、アナンの父親のドラマチックな生涯にも引き付けられて、そこが好きだったんです。アナンの天才性や、その作品に普通ではない力が宿っていることなど、スピリチュアル・ファンタジーの部分は、特に好きではありませんでした。だから、この「盗作」のほうが、そういう意味では楽しめました。

私もこの本にあるように、本物の創作に必要なのは、まず第一にキャッチャーとしての能力ではないかと思います。もちろんそれは、スピリチュアル・メッセージだの、サイキックだの、世界を動かすエネルギーの流れがどうのこうのといった、怪しげなものではなく、もっと単純に、誰もが持っている「感受性」というものとほとんど同じです。感じる力の強さと、それを形にしたいという強い意志が、創作には最低限必要ですよね。その部分までは、この本でも描かれていて、うんうん、そうなのよねー、と、納得しました。

ただ、本当はそこから先が長い長い、創作と芸術の世界の苦悩だったり、醍醐味だったりするんだと思うんですよね。技術を身につける努力や、たった一つのパーフェクトを目指して創意工夫をくりかえす過程という、創作の99%を占める部分を、この本では奇跡的なものとして扱っている事が、私は気に入らなかった。でも、そこを否定してしまうと、この本の設定も物語の展開も、根底から否定しなくてはいけなくなるので・・・。これは私の個人的意見として置いておいて、この物語はこの物語として、楽しみました。でもやっぱり、彩子はしょうがないとして、せめて紫苑さんが積み重ねたであろう努力の部分に、もう少しスポットをあててくれたら良かったのに、と、思いました。

で、ですねー。正直に言ってしまうと、それ以外の部分では、「アナン」のほうが、良かったように思います。両方ともファンタジーなので、ありえない物語なのはあたりまえなんですけど、「アナン」のほうが、現実感と非現実感のバランスが良くて、読みやすかったんです。最初のホームレスさんたちの生活がやけにリアルだったので、ファンタジーなのに、本当に「アナン」の世界の人々がどこかに生きている様な気がしてしまい、色んな人に感情移入して読めました。アナンの周囲の人々は、それぞれに個性的で魅力的な人物でした。アナンの才能がモザイクアートというマイナーな1つの方向だけに発揮され、少しずつ成長していくのも、天才を描いているとはいえ現実的で、アナンの作品が実際にどこかにあるような気がして、それを見てみたいと、強く思いました。

でも「盗作」は、その始まりの、咲子が絵を描くシーンからしてありえない話だったのはしょうがないのですが、それ以後もずっと、ありえねーって思うばかりで、現実感がありませんでした。それにこれも物語の展開上しょうがないのですが、咲子がとにかく普通すぎて。小さい頃から我がなく、成長してからも自分を抑えてばかり、だなんて、とても魅力的な主人公とは思えません。咲子の周囲の人間関係も、物語のために配置されたような現実感のない人々で、それぞれの人物の描写が薄かったです。かろうじて描けていたのは紫苑さんくらいですよね?カヅキや桜など、もっと印象に残っていてもいいはずの登場人物もいたのですが・・・いまいち。それに、絵画、音楽、小説、って読みすすめればすすめるほど、芸術のジャンルが広がり・・・ありえなさすぎて呆れましたし、踏み込みが浅くてしらけました。歌詞や小説のあらすじが書いてあるのですが、それがけっこうありがちで、この本で描かれているような特殊な魅力を感じ取ることもできなくて・・・。ノーベル賞を受賞するあたりですっかり冷めてしまいました。

あ〜。けなしまくっていますが・・・とても面白かったんですよ。それは間違いないです。
| あ行(その他の作家) | 14:05 | - | - |
▲ 少女は踊る暗い腹の中踊る 岡崎隼人
少女は踊る暗い腹の中踊る少女は踊る暗い腹の中踊る
岡崎 隼人

講談社 2006-06-07

第34回メフィスト賞受賞!
子供たちのダークサイドを抉る青春ノワールの進化型デビュー!!
凄惨だけど、爽やかです

(帯より)
終始、どこかで読んだ事があるようだ、という気がする本でした。特に、舞城王太郎さんを連想せずにはいられない。激似です。そして残念ながら、舞城さんほどは派手じゃないし、狂気が真に迫っていない。デビュー作ですし、作者はかなりお若い方で、似たようなものを書けばすでにプロとして活躍中の作家さんに勝てないのは当然。劣化コピーになっていなければ御の字でしょう。「進化型」は言いすぎだと思います。

内容は、たしかに「凄惨」ではありました。でも「爽やか」さは感じませんでした。どこまでも黒くて、暗くて、グロくて、爽やかさとは正反対。舞城さんの作品群より、主人公の語ることや、することに、どこか筋が通っているというか、つじつまが合っているというか、不条理性がないので、余計に爽やかさに欠ける本だと思いました。よくあることですが、帯に偽りあり、です。そもそも「ダークサイドを抉るノワール」なら、爽やかである必要はまったくないと思いますし、「凄惨だけど、爽やかです」は「この小説は中途半端です。」と、言っているようなもので、どうにも、帯が、いただけません。

それでも、「凄惨」と「爽やか」が、どう両立したんだろう?、って、ワクワク読み始めてしまうのが、本読みの悲しい性ですよね。今回もまた、帯には裏切られた結果になりましたけど・・・。

でもまあ、小説自体は「この若さでよくがんばったなあ」という感じです。よくまとまっていました。猟奇な連続殺人犯が3人も登場するこの本。それぞれの狂気と、それぞれの原点となった過去の記憶(そしてその中心人物)と、それぞれの結末を、1冊にまとめあげるだけでも大変な事だと思います。小説家としての才能というよりは、「器用さ」という意味で、感心しました。将来性に期待できる作家さんだと思います。

でも、オリジナリティがないのは、メフィスト賞受賞作としては、寂しかったです。幼児虐待やレイプの被害者になった、あるいはそれを目撃したことによるトラウマと、成長してからの猟奇的な犯罪行動が結びつくパターンは、もういい加減、飽きました。傷ついた少女と、狂った青年の組み合わせにも飽きています。唯一、かろうじて新鮮さを感じたのは、岡山弁の会話、かなあ。(あ、でも、それもやっぱり舞城さんっぽい・・・。)。どこかで見たような作品にも、名作はたくさんありますが、メフィスト賞ってそういう賞じゃなかったのになあ・・・。

著者が若くてイケメンなので、あまりけなしたくありません(笑)。このくらいにしときましょう。この作家さんが、将来どう転ぶのか、楽しみです。一発屋で終ってしまうか、もしかしたらライトノベルの世界に行くのか、大人向けのミステリィあるいは文芸作品としてきちんと認められるかは、次作が勝負だと思います。がんばれ、イケメン!
| あ行(その他の作家) | 22:59 | - | - |
■ 無言歌 赤川次郎
無言歌無言歌
赤川 次郎

新潮社 2006-07-20

書評系、あるいは、読書日記系のサイトやブログを作っておられる方で、赤川次郎さんの本について、きちんと書いている方は少ないですよね。儲けすぎて、ひがまれてるのかな?(笑)。赤川次郎=なんとなくお子様向けっていうイメージで、もう卒業しました、って感じなのかな。刊行作品数が多すぎて読みきれないから放棄!なのかな。多作だから、内容は薄いだろうっていう先入観かな。わたしは、ずーっとファンなんだけどな。

でもよく考えたら、このブログにも赤川本の感想は1つも書いてないんですよねー。読んではいるんですけど。で、今回読んだこの「無言歌」は、赤川本の中でも読み応えのある1冊だったので、感想を書いてみます。

柳原教授は、教え子だった晶子との不倫をおわらせたばかりですが、未練が残っており、毎日彼女からのメールを待つ日々です。事件は、柳原の娘、真由美の結婚式の当日におこります。その日の朝、柳原の携帯に晶子から、自分も今日結婚式をあげるから、これが最後のメールです、という連絡が入りました。しかし、晶子は、披露宴の途中でなぜか、失踪してしまったのです。

警察の捜査が始まります。柳原の妻である昭子と次女の亜矢は、娘の結婚式の最中だというのに、柳原の姿がしばらくの間見えなくなっていた事に気がついていました。晶子の失踪に、柳原が何か関係しているのか?もしかして柳原は、晶子を殺してしまったのではないだろうか。2人は口にだせないまま、それぞれに悩みます。

晶子はどこにいるのか?この失踪の原因は?崩壊寸前にしか見えない家族の将来は?

この本のテーマは、不倫、かな?違うなあ。たくさんの不倫が描かれているけれど、テーマはたぶん、夫婦、ですね。

柳原と晶子の不倫が事件の始まりでしたが、よりじっくりと描かれているのは、柳原と、妻である昭子の関係です。高校生の娘、亜矢の目からは理解できない部分も多いのですが、長年連れ添った夫婦には、2人の絆がちゃんとあるのです。でもそれは、信頼関係というのとはまったく違っていて、2人はお互いに対する秘密を持ちながら、お互いに相手を信じないままで、学部長選の選挙運動に向けて、協力し合っていきます。

真由美の結婚相手は、父の部下にあたる馬渕という男でしたが、彼にとってこの結婚は、出世戦略の一環に過ぎなかったようです。教授の娘婿になることで、なんらかの恩恵を得ようとしたのでしょう。結婚したとたん、教授の出世欲をあおり、学部長選挙に関して小ずるいところを見せはじめる馬渕に、真由美は違和感を感じます。そして、馬渕も女子学生に手玉にとられ、義父と同じように、不倫にはまってしまいます。この夫婦の間には、愛も、絆も、なかったようですね。

亜矢の友人、純子も、妻子ある男性との恋に傷つきます。純子は、彼の子供をおろさなければなりませんでした。相手は、中絶費用をきちんと払うことさえしません。彼の妻は、自分の夫が女子高生と不倫をし(しかも初めてではないらしい)、妊娠させ、中絶させた、そのすべてを知っていても、彼を放そうとはしません。彼の妻は、すべてが終ったあとで、夫の子供を妊娠した自分の姿をわざわざ亜矢と純子に見せにあらわれます。この2人は、子供という絆でつながっているのでしょう。妻のほうが、そう信じたいだけなのかもしれませんが。

基本的にはサスペンス小説でしたが、晶子と結婚するはずだった加賀との関係、また、加賀が晶子の失踪後に愛し始めたやよいという女性との関係、など、サイドストーリーもあり、男女のドロドロ劇と修羅場が満載の1冊です。事件は解決し、穏やかな日常が戻ってくるまでを描いてはいますが、ハッピーエンド言えません。それでも、赤川次郎さんが描くと、なぜか読みにくくはない。ドロドロなものを、ドロドロに、ドロドロとしてきちんと描いているのに、読後感は、ドロドロではない。すごいバランス感覚ですよね。上手い!

この本の場合、読後感を良くしてくれているのは、柳原家の次女、亜矢の正義感や、純粋さだと思います。それから登場人物の造形のバランスもいいんですよね。美人で、お嬢様育ちで、正義感が強い女性なんて、普通に書いたら女性の反感を買いそうですが、そういう登場人物には、賢さと不器用さを持たせて、読者が応援したくなるような愛すべき人物が出来上がっています。不倫をする男も、出世のために不正を行い、それに妻を加担させる男も、許しがたいですが、最終的には、単なる間抜けでヘタレである事が明らかになるので、憎みきれない人たちです。

この作品に限らず、赤川次郎作品では、人間の悪いところが「弱さ」として描かれていることが多くて、だからどんなにドロドロでも、読後感が良いんでしょうね。

赤川本は、ライトで、爽やかな作品のイメージが強いですけど、実際には、ほとんどの作品が爽やかとはとても言えないし、ハッピーエンドとも言えないし、読みやすいだけで軽くもない。一作一作をきちんと読めば、今、世間で高い評価を受けている、大衆文学系の作家さんたちの代表作と比べても、見劣りしないレベルだと思います。コンスタントに、良作を発表し続けて、それが膨大な量になってしまったことが、なんとなく彼のマイナスになってしまったようで、私は残念です。まあ、押しも押されもせぬ人気作家で、マイナスなんて何もないと言えば、何もないですけどね。
| あ行(その他の作家) | 09:06 | - | - |
■ つきまとわれて 今邑彩
つきまとわれてつきまとわれて
今邑 彩
中央公論社 1996-09

再読。

ご病気のせいか、最近寡作の人になっておられる、今邑彩さんの短編集。

ミステリィとホラーの中間にゆらゆら漂っているような、不思議な雰囲気の小品達です。私は好きです。女らしい繊細さと、心細さと、陰険さを、絶妙にミックスした作品が多くて好感度大。

・・・ハートウォーミングとはかけ離れた本なので、好感度大、という言葉は誤解を生むかもしれません。あくまでも、ミステリィ&ホラーです。

○ 吾子の肖像
妻を愛し、子供を愛して生きた良い父親で、娘の肖像を描き続けて、その子が9歳のときに亡くなった芸術家。彼が生涯貫き通した、切ない嘘とは?

1番、驚いた作品で、1番、切ない作品でもありました。

○ 逢ふをまつ間に
これは、パソコンの“妻”育成ゲームの物語です。夫であるプレーヤーは、妻の食生活を管理し、妻の趣味にどれだけ付き合ってやるかによって、妻のストレスをコントロールし、それによって、ゲームの中の妻の寿命が決まります。

このストーリー、逆バージョンのほうが面白いし、リアルだと思ったのは私だけかなあ。現実の妻は、いつもいつも夫の注文どおりに料理を作るわけではない。夫が休日にかまってくれなくても、自分自身のお友だちが、たいていの妻にはいくらでもいる。

でも、夫の方はどうでしょう?妻が出した料理を食べるしかなくて、会社関係以外にこれといった人間関係もなくて、会社では常に競争のストレスにさらされて。妻を主人公にして、夫をPCの中の擬似人格として作ったほうが、面白い小説ができそうなきがします。

他に、

□ おまえが犯人
□ 帰り花
□ つきまとわれて
□ 六月の花嫁
△ お告げ
△ 生霊
| あ行(その他の作家) | 17:18 | - | - |
● クラインの壷 岡嶋二人
クラインの壷クラインの壷
岡嶋 二人

新潮社 1989-10

わたしは、岡嶋二人の解散前からのリアルタイムのファンでした。でも、この本は再読ではありません。岡嶋二人名義で発表された、最後の作品であるこの本を、今まで読まずにいたのには、ちゃんとわけがあるのです。

そのわけを書く前に、一応、内容紹介を・・・。

ヴァーチャル・リアリティをテーマにしたミステリィ。その割に、今読んでも古くは感じないのが、さすがです。専門用語や、そのVR装置についての仕組みを詳しく描かなかったことが、時がたってみれば勝因かもしれません。でも、そのあたりをもっと緻密に、具体的に描いていれば、SF小説としてのリアリティを持たせられて、もっと高い評価が得られたのかも。瀬名秀明さん風に。でも、そういう小説は読者層が偏るし、早く古くなりますから、この本はこれでいいんだと思います。

とても面白かったです。ラストのなんとも言えない読後感も、けっこう好きでした。

さて、この本をわたしが、珍しく積読していたのは、この本のせいです。

おかしな二人―岡嶋二人盛衰記おかしな二人―岡嶋二人盛衰記
井上 夢人

講談社 1996-12

本当に悲しい、悲しいエッセイなんです。

基本的に図書館派で、新刊本にすぐ手を出すタイプでもない私は、「クラインの壷」を読む前に、この本を読んでしまいました。そして、ものすごく嫌な気分になりました。

どのように2人で1つの小説を作っていたのか、というのはずっと気になっていたことだったので、その秘密が明かされたこの本は興味深く読めましたし、2人の貧乏青年が、江戸川乱歩賞を受賞するまでの前半部分「盛」は、青春と友情、って感じで、楽しく読めました。

でも、2人が作家として忙しくなってから、解散に至るまでのいきさつが赤裸々に書かれた後半部分「衰」は、感じが悪かった。あまりに赤裸々なので、エッセイではなく小説みたいに、心情は伝わってきました。解散の理由は、「そう思っちゃったら終わりだよな〜」って感じで、ファンだったわたしも、解散に納得せざるを得ないようなものでした。結局のところ、感情的なすれ違いを繰り返して、人間関係が仕事によって壊れてしまう本で、まるで夫婦の離婚劇を見るような一冊でした。とても悲しかった。

でも悲しいだけじゃなくて、感じが悪かったんです。それはこの本が、すべて、井上さん側からしか語られていないからで、徳山さんにだって、これを読んだら言いたいことはたくさんあるだろうなあ、と、思うと、あまりにフェアじゃない気がして、当時の私は、かなり滅入ったのでした。

そんなわけで、わたしは井上夢人作品はもう読まない!と、決めて、で、実質井上さん1人で書いたという、この、「クラインの壷」も、読めなくなっちゃったんですよねー。

今思えば、私も、若くて真面目だったなあ。

この本に書いてあることは、井上さんにとっては、真実なんですよね。そして、それを公表することは、作家としての井上さんの実力を証明することでもあり、井上さんがこの後1人で作家として生き残っていくためには、色んな意味で、必要だったんでしょう。自分の弱さやずるさをさらけ出しても、あくまで「仕事をする男」である井上さんを、今ならそんなに悪く思ったりはしません。

それに、たとえば井上さんが夫で、徳山さんを妻と考えれば、徳山さんが何も語らないのは最後の愛情って感じもします。言いたいことはたくさんあったんだろうけど、相手に拒絶された以上は、井上さんの今後の仕事の邪魔は、あえてしなかったんでしょうね。

これを夫婦の離婚と考えると、「女」は、前の恋人をふっきるのに、「男」ほどの時間はいらないんですよねー。どれだけすがってもダメで、完全に終ってしまったら、女は男ほどひきずらない。ひきずりたくない。思い出したくもない。本を書くなんてとんでもない。早く忘れたい。忘れちゃえ!!!って、女はそんな感じですよね。

まあ徳山さんは女じゃないですけど、もう小説は書かない事にした彼が、何も語らなかったことも、それでも井上さんがすべてを語ることを許したことも、なんか今なら納得できます。徳山さんが別の業界で、きちんと成功しているといいなあ。

そんなわけで私は、最近井上夢人作品を読むようになりました。「岡嶋二人盛衰記」も、今読むと、大変面白いエッセイだと思えます。

そしてわたしは、「クラインの壷」を、このたびやっと読んだのでした。

おしまい。

それにしてもこの文章は、本当に「クラインの壷」の感想なんだろうか・・・。
| あ行(その他の作家) | 07:44 | - | - |
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