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■ 逃避行 篠田節子
逃避行逃避行
篠田 節子

光文社 2003-12-15

50を過ぎるまでずっと、毎日毎日主婦として、家族のために働いてきた。でも、夫はいつも冷たく、娘たちは邪険。妙子にとって唯一心を通わせることのできる、信じられる存在は、愛犬のポポ。

そのポポが、隣の家の子供にいたずらをされ、反撃した結果その子を噛み殺してしまう。マスコミからのバッシング、ポポを処分しようとする家族、妙子はポポと共に逃避行を始める…。


妙子が住み着くことになった家の、前の住人であった老女のエピソードが印象的でした。見事な畑を作って、最後まで自立して生き抜いた彼女は、けして哀れではないと私も思いました。誰にでもできる事ではない、立派な生き方だと思いました。そして、そういう見方をできるようになった妙子も、素敵だと思いました。

家族とか、人生とか、ペットと人間の関係とか、色んな事を考えさせられる本でしたが、逃避行を通して妙子は「生きる」という事の本質に迫っていったような気がします。自給自足に近い生活をし、野生に返っていくポポを見ながら、彼女は「生きている」と、肌で感じ始めたんだと思います。だからこそ、あのエンディングがとても悲しいです。主婦でもなく、夫も娘も犬も持たない私ですが、どっぷりはまって主人公目線で読んでしまったため、
主人公の夫と娘の薄情さに腹が立って腹が立って、悔しくてしかたないです。もちろん夫や娘にも自分の言い分というのはあるのでしょうね。だからこそ、それがまた切ない。本当に切ない本でした。
| さ行(篠田節子) | 17:49 | - | - |
■ 絹の変容 篠田節子
絹の変容絹の変容
篠田 節子

集英社 1991-01

虹色に輝く不思議な反物。実家の倉の中から偶然それを発見した、包帯屋の跡継ぎ、康隆は、その魅力にとりつかれ、それを商品化したいと考えます。バイオテクノロジーのプロである芳乃の協力を得て、康隆は、その反物が、ある種の野蚕が吐き出す絹糸から作れることを知りました。

康隆、芳乃、そして資金提供をした大野の3人は、何年もかけて、その蚕を繁殖させ、美しい織物を作ることに成功します。しかし、それは意外なパニックの前触れでした・・・。

最近ドラマ化されたので、篠田さんの「夏の災厄」を久々に再読して、やっぱり名作だ!と、思いました。篠田さんの書かれる小説のジャンルは多岐に渡りますが、この「絹の変容」は篠田さんのデビュー作で、「夏の災厄」に直接連なっていく、バイオ・ハザード小説です。 

枚数制限でもあったのでしょうか。薄い本なので、「夏の災厄」に比べてしまうと物足りなさはあります。でも、科学技術にねじ伏せられそうになった瞬間、自然は思いもかけないところで、人間に牙をむく、その恐さ。人間の「欲」や「意地」といったものが、被害を増大させていく、その醜さ。デビュー作とは思えない深みのある作品でした。もっと長ければ、「夏の災厄」に負けない傑作になったと思います。

「夏の災厄」はブンブン系の虫の本ですが、こちらは蚕。イモイモ系の虫の本です。虫嫌いの方は、生理的に受け付けないと思うので、ご注意ください。 
| さ行(篠田節子) | 19:03 | - | - |
■ マエストロ 篠田節子
マエストロマエストロ
篠田 節子

角川書店 2005-11-25

読んでみたら再読でした。文庫化されたのは最近のようですが、篠田さんの初期の作品だと思います。すごーく前に読んだことがある本でした。

この小説の主人公、美貌のヴァイオリニストの陣野瑞恵は、コンサートで演奏をし、その時にダイヤモンドを身につけることで、ある会社の広告塔になっています。その会社の社長とは愛人関係にあり、恵まれた生活を与えられています。しかし、自分の芸術性には自信がない面もあり、でもプライドだけは高く、音楽家なのに外見が評価されCMをやっている事に屈辱感を感じ、愛人生活には馴染めず・・・。華やかな世界で成功したはずの瑞恵は、なんだかとても不幸そうです。

彼女は、もちろんヴァイオリンの演奏が主な仕事であるわけですが、弟子にヴァイオリンを教えることもあります。弟子がヴァイオリンを購入するとき、楽器屋さんは、紹介料というか謝礼というかなんというか、楽器の値段の何パーセントかを、マージンとして、教師にも支払います。これは業界の慣習であり、要求しなくても自然に入ってくる収入なので、瑞恵も何の疑問も持たずにうけとっていました。

わたしもヴァイオリンの先生なのですが、子供のころにはこの慣習を知らなかったので、それを知ったときは驚きました。かなりの大金なのでねー。

しかし、もしもそれを、国立大学の教師が受け取ったら、それは収賄という立派な犯罪になるんですよね〜。だって公務員だから。それを知らなかった瑞恵は、犯罪者となり・・・

結局すべてを失ってしまう瑞恵ですが、失ったものは本当は不要だったものばかりで、ヴァイオリニストとしても女性としても、自分にとって本当に大切なものを見つけた、前向きで清々しいラスト。あの楽器を買ってくれて、私は本当に嬉しかったです。ラストのコンサートシーンにしびれました。ブラボー。
| さ行(篠田節子) | 18:53 | - | - |
● 夏の災厄 篠田節子(ウイルスパニック2006夏)
夏の災厄夏の災厄
篠田 節子

文藝春秋 1998-06

昨日、日本テレビのドラマコンプレックスで、篠田節子さんの「夏の災厄」がドラマ化されました。

東京郊外のある市で、日本脳炎によく似た伝染病が発生するという事件がおこります。前線で必死に戦う診療所の医師や看護婦たち、感染防止と原因究明に奔走する保健所の人々、保身のために情報を公開しようとしない大学病院、責任逃れのために対応が後手後手になる行政、そして恐怖におののく市民たち、といった事件に関わる人々の一人一人を丁寧に描いた群像劇です。一時はやったアウトブレイクもののパニック映画のようですが、映像的なインパクト重視の、直接的な恐怖をあおるようなものではなく、地味でリアルで、恐い一冊。まさに、日本の夏的なじめっとした恐さ(笑)

ドラマは、タイトルが「ウィルスパニック2006夏」と変えられていましたが、かなり、原作に忠実な内容で、よかったです。原作に負けないくらいリアルで、恐かった。鳥肌。ひさびさに、りょうさんの素敵な演技が見られたのも嬉しかったです。

でもやっぱり、ドラマより、原作がすごいです!ドラマはやはり時間の制約があるので、描ききれていない部分がありますからね。得体の知れない恐怖、かかわった人間一人一人の人間ドラマ、スリリングで丁寧な謎解き。ドラマを見た人にも、原作を読んでもらいたい!

私は篠田節子作品を、「夏の災厄」の前にも何冊か読んでいて、好きでした。でも、その気持ちをさらにアップさせてしまったというか、その気持ちが一線を超えてしまった(笑)のが、この「夏の災厄」という本でした。私の中で、篠田節子は、この作品で殿堂入りしたんです。

他の本に比べて、特にこの本が好き、というわけではないのですが、他の作品のように、女性の本音やドロドロの人間関係も描けて、そしてこんな日本の危機管理に問題を提起するような社会派サスペンスもしっかり描けるなんて、すごい作家さんじゃないか!って思ったんですよね。人間の悪意や嫉妬も、善意や正義も、両方リアルに描けるなんてすごい。この先生は本物だ、って思いました。本物の実力と意欲のある作家で、追いかけ続けてもきっと、がっかりさせられることはないって、感じました。「夏の災厄」は、わたしにとってそんな作品です。大好きな篠田作品の中でも、特別な1冊です。

「夏の災厄」、今の季節には、特にオススメです。
| さ行(篠田節子) | 10:02 | - | - |
● 讃歌 篠田節子
photo
讃歌
篠田 節子
朝日新聞社 2006-01-12

by G-Tools , 2006/04/16





感動の正体とは?

帯より。
かつて、天才少女ヴァイオリニストと呼ばれ、国際的な賞もとった園子。彼女は19歳になって、米国に音楽留学をしますが、そこで壁に突き当たり挫折、自殺を企てます。幸いにも生命は取り留めたのですが、半身麻痺の身となって帰国。その後の長い時間を、ほとんど寝たきりで過ごしました。

しかし、奇跡的に楽器を弾けるまでに体調は恢復。再び演奏活動を始めます。ただし今度は、楽器をヴィオラに持ち替え、ボランティアで、教会や施設で癒しの音楽を奏でるようになったのです。

その演奏が、あるテレビ関係者の目に留まり、彼女を主人公にしたテレビのドキュメンタリー番組が制作されます。その番組は予想外の成功を収め、権威ある賞を受賞し、その反響から彼女の演奏生活は一変し、一躍時の人となります。ところが・・・。

というお話。展開が波乱万丈で退屈しません。どちらかといえば音楽業界ものではなく、テレビ業界ものです。園子と周辺の人々には、それぞれの思惑があり、秘密があり、後半でそれが次第に明らかになっていきます。面白かったです。

変わり身の早いマスコミの怖さ、それに踊らされる大衆の1人であることの怖さなど、色々と考えてしまう本でした。正しいもの・良いものを見分ける目を、自分で持っていたいと思うけれど、とても難しい事でよすね。特にクラシック音楽に関しては、日本人は私も含めて、メディアに踊らされっぱなしだと思います。そういう意味では、この本は誇張0でした。

一応、ヴァイオリンをやってきた私には、かなり痛い本でもありました。実力がないこと、才能がないことって、自分が一番にわかって、それはすごく辛い事なんだよね。それなのに、過剰評価されたり、実力以上を期待されてしまうなんて、辛いよなあ。レベルが全然違うけど、園子の気持ちはすごくわかりました。

プライドが高くて、実力を認められない気持ちもわかるし、あがく気持ちも、開き直る気持ちもわかる。でも、そのプライドのせいで、何度も自分で自分の成長の芽を摘んでしまう園子は、あまりに弱くて、それじゃあ駄目なんだよなあ。うーん、わかる、痛いなあ。

私にとっては、負け犬本だの、失恋本だのの100倍くらいは、わかりすぎて痛い本でした。こっち系で痛い本を書いてくれるのは、篠田節子さんか、永井するみさんなんですよね。きっと読むと痛いぞ、と、思いながら、出ると必ず読んでしまいます。
食べ物も違えば、生活習慣も違う。音楽が民族の壁を越えるなんて、まやかしだわ。本当の意味で、バッハやモーツアルトの音楽を、理解できる日本人なんて一握り。日本人が感動するクラシックは、いまだに大正音楽なのよ。宵待ち草と枯れススキ。ヴィブラートとポルタメントをだらだらに使った、センチメンタルな演奏。そうすれば感動させられることくらいわかっているけど、プロの演奏家なら恥ずかしくて、そんなでたらめな演奏できないわ。

大衆は騙せても、専門家の耳は騙せない。そんなときは自分自身を騙すしかない。自分に暗示をかけるしかない。

練習ではどうにもならないこともある。才能ではない。資質の違いだ。
| さ行(篠田節子) | 02:43 | - | - |
■ ロズウェルなんか知らない 篠田節子 
4062130068ロズウェルなんか知らない
篠田 節子
講談社 2005-07-06

by G-Tools

このままいけば、2030年に人口が0になってしまう、という過疎の町駒木野。農業と養豚という地場産業はあるものの、これまでは近くのスキー場の、スキー客を泊めることで現金収入を得てきました。しかし、スキー場の閉鎖以降、駒木野町の人たちは収入のあてもなく、町を出て行くことを余儀なくされています。町が消えようとしているのです。

そんな駒木野町に、ひょんなことから、元コピーライターの鏑木という男が暮らすようになります。町の将来に危機感を持っていた青年団の面々は、頭の固い役所の人たちや、無気力で頑固な町のお偉いさんに押しつぶされ、何も出来ずにいました。しかし、鏑木に乗せられるように、自分たちで町おこしをはじめる事にします。お金は出してもらえないので、アイデアと誠意で勝負です。鏑木が目をつけたのは、手入れされていない古い旅館や、つぶれた遊園地や、山の単なる石。これらが鏑木のアイデアで、観光資源に化けます。「UFOで町おこし!」なのです。

鏑木と青年団が活躍する前半はとても面白かったです。後半になって、坂道を転がり落ちるように、数々の逆境が彼らを襲いますが、なにがあってもめげない、やめない、あきらめない。鏑木の究極のプラス思考は、かっこよかった。この土地の人間じゃないから言える言葉なのか、鏑木だから言える言葉なのか。たぶん後者でしょうね。どこにいっても、飄々と生きていけそうな、鏑木にはあこがれちゃいます。

ストーリーが似ているので、荻原浩さんの「オロロ畑でつかまえて」を思い出さずにはいられません。でも、「ロズウェル〜」のほうが、ずっとリアリティがあります。さすがは篠田節子さん。勉強とか取材とか、きちんとされてるんでしょうねー。

でもね、リアルなのに、小説としては、なんだか物足りない気もするの。

帯に「地方の未来を真面目にわらう!!」と、書いてあります。その通りで、この本は笑うしかない本だと思うんです。一生懸命で、真面目で、でも愚かな青年団の面々。愛すべき彼らの彼らなりの必死さを、微笑ましく思いながら読みたい。だけど、この本はリアルすぎて、笑えないんですよね・・・。微笑ましいというより、可哀想になってしまって、読み心地が悪いのです。最後にちらっとファンタジー(オカルト?)が入っているのも、なんとなく落ち着かないのです。

「オロロ畑でつかまえて」は、笑ってそれからホロリとすればいい、ってわかったんだけど、この本は、読みながら、何をどう感じればよいのかわからなかった。

過疎の町の人たちも、どうしたらいいかわからないんだろうな、きっと。そういう意味でも、とことんリアル。「オロロ畑〜」未読の人にはオススメです。読み応えのある本です。
| さ行(篠田節子) | 15:00 | - | - |
■ 砂漠の船 篠田節子
4575235075砂漠の船
篠田 節子
双葉社 2004-10-12

by G-Tools

崩壊していく家族の物語です。父親は温かい理想の家庭に1人こだわって空回りを続け、妻は子離れができずに浮気をし、娘は反抗的で自分の事だけを考えている。誰にでも心あたりがありそうな、痛いところをつかれる物語です。

興味深かったのは、この物語の背景になっている、日本の現代史です。それを、庶民の視点で丁寧に追った部分です。日本社会の「暗黙の価値観」の変遷、と言ったらいいのでしょうか。祖母・両親・主人公・娘と4世代の価値観が登場するので、この100年くらいでどんな変化があったのかが、見て取れます。

主人公の夫婦は現在50台後半。バブル期に働き盛りの年代で、東京で共働きをしていました。その時代に「家族を第一」にしようとした幹郎は、転勤を断り、出世の道を自ら閉ざしてしまいました。男女雇用機会均等法が成立しようやく女性にも責任ある仕事が任されるようになった時代、妻は家事と仕事を必至で両立しようとしていたのに、幹郎は妻の職場でのビッグチャンスを、自分の理想のために棒に振らせてしまいました。「地域と密着した人間らしい人生」を娘に与えようとして、私立中学に行きたかった娘を無理やり公立に入れました。

幹郎がそのような価値観を持つに至ったのは、父と母が出稼ぎ労働者で不在である、田舎の淋しい家で育ったからです。両親の出稼ぎのおかげで物質や学歴を手に入れたけれど、寂しかった、幸福ではなかった、そう思っているのです。また、母親の自殺が「都会に狂わされたんだ」という祖母の言葉にも縛られて、「都会の希薄な人間関係」を嫌悪しています。それで、「家族が一緒に暮らし、地域と密着した、平凡で穏やかな生活こそが一番である」と、考えるようになったのです。

しかし幹郎は、両親の仲間だった元出稼ぎ労働者の事故死事件をきっかけに、戦中戦後の、田舎のムラ社会の暗部や、出稼ぎ労働者の実態を知るようになります。父親の死をきっかけに、両親、また祖母の胸のうちも少しづつわかってきます。つまり幹郎が「理想」としていたものは、幻であり、そんなに素晴らしいものではなかったと、過去の事実から突きつけられるのです。

バブルが崩壊して10年、会社ではリストラが目の前にぶらさがっています。未来も明るくはありません。妻は会社も幹朗も捨て、自分の経験を生かした事業を起こして溌剌と第二の人生を歩み、娘は、オタク少女から同人作家を経て才能を認められ、ゲーム制作の一流企業に就職して、幹郎から去っていきます。彼女が最後に言うセリフがあまりにミもフタもなくて切ないです。

そんなわけで、とっても興味深かったけど、小説としてはタイトル通り乾いていて、ガリガリと鋭すぎて、読むのが辛い本でした。後味が悪すぎます。1度読んでおいて良かった、と、思いますが、2度は読まないと思います。
| さ行(篠田節子) | 22:50 | - | - |
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