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■ 生かされて イマキュレー・イリバギザ
4569656552生かされて。
堤江実
PHP研究所 2006-10-06

by G-Tools
1994年、ルワンダ。100日間で100万人のツチ族が、フツ族によって虐殺されました。この本は、小さなトイレの中にかくまわれて奇跡的に生き延びたツチ族の女性、イマキュレーの手記です。この事件が、「ホテル・ルワンダ」という映画で、日本人の映画ファンに知られるようなになったのは、幸運でしたね。

この本も、映画も、とても感動的な手記でした。そもそも、当時ルワンダにいたツチ族の女性で、生き延びた人が少数である上に、現在、イマキュレーのように恵まれた環境で幸福に暮らして、手記を出版できるような環境にある人は、さらに少ないでしょう。それだけでも、この本の価値は高いと思います。また、ルワンダの虐殺について書かれたものの中では、残虐で生々しい描写がおさえられていましたし、歴史的な背景や、政治的な解釈が、最低限におさえられていたので、比較的読みやすい本だと思います。

前書きによると、「これは、歴史上、もっとも残虐な大虐殺のただ中で、どのようにして私が神を見出したかの物語です。」というわけで、敬虔なカトリック教徒である、彼女の信仰について語られる部分が多いです。同じ信仰をもたない人間には、共感できない部分もありますし、信じられない部分もあります。彼女が、啓示だとか奇跡だとかいう風に表現する物の多くは、私には、偶然か幸運、そして彼女自身の力だという風に思えます。基本的に、私はスピリチュアル系は苦手です。

しかし、それはそれとして。

虐殺の間中、彼女が、自分の中の恐怖と不安、絶望、憎悪や復讐心といった「悪」と戦い続け、それに勝利をおさめて、希望と慈悲の心を持ち続ける姿には、感動しました。狭いトイレの中に8人もの人間が隠れていなければならず、食料はめったに与えられず、音をたてることも喋ることもできず、一日に一度しか身体を伸ばす事ができず、身体の大きい彼女の膝の上には、常に小柄な誰かがのっているという状況で、彼女は将来国連で働くために、英語の勉強を始めるのです。

虐殺が終わった後、すべてを失い、心も体もボロボロに傷ついた状態でも、すぐに他の人に尽し、他の人のために働きたいと願い、実際に行動し、憎しみや復讐心と戦って、最終的には家族を殺した相手に許しを与え、たった2年でまた人を信じ愛せるまでに回復したのです。

もし自分にそんな悲劇が振りかかったら…と考えると、ありえないな、としか思えません。絶望か憎悪のどちらかに、簡単に魂を売り渡してしまうんだろうと思います。そして、私だけでなく多くの人が、イマキュレーのようには強くないだろうと思います。

その強さを、彼女は信仰から得ました。信仰とは、本来、こんな風に働くべきものですよね。戦争を正当化したり、購買力を煽ったりするばかりが、信仰ではない。あたりまえですけれど。

| ノンフィクション | 04:59 | - | - |
● 無人島に生きる十六人 須川邦彦
無人島に生きる十六人無人島に生きる十六人
須川 邦彦

新潮社 2003-06

これはオススメ本です。あまり恐怖や不安をかきたてるような描写はなく、ユーモアにあふれた、爽やかな冒険譚で、読み終わった後、元気が出るような本です。

つくづく、昔の日本人は、立派だったと思いました。その真面目さや、一途さが、軍国主義思想にあおられて戦争に突き進み、たくさんの国のたくさんの人々を不幸にしたことを考えると、残念でならないけれど、やはりその核となった精神力に関しては、尊敬!の一言です。

この本は、明治31年、太平洋上で遭難し、小さな無人島で救助を待つ日々を送ることになった男たちの物語です。あとがきの言葉を借りると、「十六中年漂流記」です。男たちが、とにかく、かっこいい一冊です。

無人島に到着した次の日の明け方、船長は、漁業長と水夫長と運転士という、上に立つ立場の3人と話をします。
きょうからは、げんかくな規律のもとに、十六人が、1つのかたまりとなって、いつでも強い心で、しかも愉快に、ほんとうに男らしく、毎日毎日を恥ずかしくなく、くらしていかなければならない。そして、りっぱな塾か、道場にいるような気もちで、生活しなければならない。この島にいるあいだも、私は、青年たちを、しっかりみちびいていきたいと思う。君たち三人はどう思っているか聞きたい。
そう話した船長に、三人もそれぞれに出来ることをすると誓い、その通りにしていきます。船長は自分たちの遭難が決まった瞬間から、このように考えていたのでしょう。なぜなら、座礁した船から脱出を決断した時すでに、生き抜くために必要な食料や道具だけでなく、出来るだけたくさんの書籍や勉強道具を持ち出すように若者たちに指示を出していたからです。船員たちも立派で船長によく従い、無人島についたあとも、けして希望を失わず、年長の船員たちが教師となり、読み書き、算術、そして操船技術を学び続けます。

あまりに小さなその島では、掘っても掘っても海水のような塩分の強い飲み水しか手に入りません。植物性の栄養源はほとんどなく、ウミガメの肉と、海鳥の卵と、魚を糧に生きることになります。なれないうちはほとんどの者が病気になりますが、それでも、助けを求めるための見張りやぐらを作ったり、食料や水を確保するためのしかけを作ったりと、働き続けます。

誰も働くことを厭わず、思いやりの心を忘れず、帰国を諦めることなく、生活に工夫をこらし、できるだけ愉快に生き続ける。十六人のおじさん達が、どうしようもなくかっこよくて、本当に素敵な本でした。

一番印象に残ったのは、無人島の見張りやぐらが出来た夜のエピソードです。

夜間の見張り番が必要になった最初の夜のこと。立候補した多くの若者たちをおさえて、小笠原という老人が見張りに立候補し、何も言葉を交わさないまま、船長も彼を選びます。経験豊かな小笠原には、夜の孤独な見張りが、精神的にどれほど厳しいか、月が人の心をどれほど不安にさせ、郷愁が心を弱らせるかわかっていたのです。そして、その役割を担ってくれた小笠原に、船長はあとでこっそりとお礼を言い、腹に巻くようにと、帆布を渡します。冬の寒さに備えて、温かいうちは全員裸で暮らすようにと命じた船長ですが、このときばかりは、小笠原の体を気遣いました。

感動〜!何にせよ、プロの男って、かっこいいなあ!本物の強い人間って、かっこいいなあ!
| ノンフィクション | 13:39 | - | - |
● 脱出記 スラヴォミール・ラウイッツ
脱出記―シベリアからインドまで歩いた男たち脱出記―シベリアからインドまで歩いた男たち
スラヴォミール ラウイッツ Slavomir Rawicz 海津 正彦

ソニーマガジンズ 2005-09

わたくし、またまたすごい本を読んでしまいました・・・。

時は、1941年。第二次世界大戦の真っ最中です。主人公は、ポーランド人のスラヴォ。彼は、スパイではないか、という言いがかりをソ連につけられ、ひどい拷問を受けます。それに耐えて、自分はスパイではないと言い続けたにも関わらず、結局は、シベリアでの強制労働25年という刑を言い渡され、収容所送りになりました。

この本は、彼がシベリアの強制収容所から、6人の仲間たちと共に脱出を企て、6500キロあまりの道のりを、1年以上かけて歩き、「自由の国」インドにたどりつくまでの物語です。本の最初に、彼らの逃走ルートがのっているのですが、それを見るだけでも、この旅の過酷さがわかります。はじまりは、極寒の地、シベリア。それを南下してヘンテイ山脈を越え、ゴビ砂漠の真ん中をつっきり、最後は世界の最高峰がつらなるヒマラヤ山脈を縦断しています。ただ旅をするだけでもこのコースは、命がけのチャレンジで、冒険と言えるでしょう。しかし彼らはそれを、まともな装備も、準備も、資金もなく、追われる恐怖と闘いながら、やりとげたのです。すごすぎます。

淡々とした筆致で描かれているので、そんな壮絶な物語を、恐がりの私でもあまり恐怖を感じず、さらっと読んでしまいました。しかし、飢餓や、ゴビ砂漠での炎暑や渇きとの闘いは、想像を絶する苦しみだったはずですし、最後のヒマラヤ登攀の部分だけだって、山岳ノンフィクションの1冊や2冊は書ける過酷さであったはずです。実際、仲間の半分が、旅の途中で亡くなっているわけですから。「迫力」や「臨場感」をもっと出してエキサイティングな冒険譚にしたり、仲間同士の友情や連帯感、家族への思いなどをもっと描いて、涙腺を刺激する描き方もあったはずです。

なぜ、その部分を「淡々とした筆致」で描いているのか。自慢してもいいはずの、その冒険譚を、なぜもっともっと強調しないのか。そのほうが、感動的で泣ける本になったのに・・・と、最初は思いました。でも、あとがきを読んだ今では、それは、著者の「本当に言いたいこと」ではなかったからだろうな、と、わかります。

スラヴォは、その旅の過酷さより、ソ連、あるいは共産主義国家の、他国民に対する理不尽な扱いのひどさを、一番、訴えたかったのでしょう。自国・ポーランドをはじめ、ラトヴィアや、ユーゴスラヴィア出身の仲間たちや、旅の途中で出会ったウクライナの少女が受けた、ひどい仕打ちのほうを強調したかったのでしょう。どんなに旅が過酷でも、「自由」を奪われるよりは良いのだ、と、言いたかったのでしょう。メインは、政治的主張なのです。ほぼ、共産主義が淘汰された今読むのと、第二次大戦後すぐ、そして冷戦の最中に読むのとでは、ずいぶん感想が違うであろう本です。

あとがきには、このように書かれていました。
何よりも大事なことは、自由は酸素と同じように大切だと、心底から感じることであり、自由はいったん失われたら、それを取り戻すのが困難だという事実を、本書を読んで思い出していただけたならこれに勝る喜びはない。
そんなわけで、この本で活字になっていない部分を、学生時代に習った現代史と地理の知識を引っ張り出し、登場人物それぞれの言葉にならない思いを想像して、行間を埋めながらじっくり読む事をオススメします。

そうそう。現代史が苦手だと、どうして「インド」なんていう遠い場所まで逃げなければならなかったか、わからないんじゃないかな?地図だけを見ると、なんで朝鮮や、中国(満州)に逃げなかったの?って思ってしまいそう。でも・・・その責任は、かなり我が日本国にあるんじゃ・・・。一応日本国民の端くれとして、良心が痛む気がします。この本が、日本語に訳されるのは初めてだそうですが、この本の初版が出たのは、1956年。何度も重版がかかり、様々な言語に翻訳されて、世界中で読まれてきた、ノンフィクションの名作だそうです。
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| ノンフィクション | 04:15 | - | - |
■ 奇跡の6日間 アーロン・ラルストン
4093566615アーロン・ラルストン 奇跡の6日間
アーロン ラルストン Aron Ralston 中谷 和男
小学館 2005-05

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帯によると、全米を泣かせた、ドキュメンタリーの大ベストセラーだそうです。納得。

2003年4月、ロッククライミング中に、落石に手を挟まれて身動きが取れなくなった主人公。砂漠にそびえる断崖の真ん中で、照りつける昼の太陽と、夜の冷え込みの中、満足な防寒具も食料も水も持っていない。助けを呼ぶすべもなく、行き先を誰にも告げてこなかったので、助けが来る可能性もない。彼は、ある「決断」をすることによって、自力で生還します。

なかなかに壮絶な本でした。読み応えだけは保障します。

私、この人と同じ年なんだよね・・・。色んな人生があるもんだ。
| ノンフィクション | 12:28 | - | - |
▲ 生と死のミニャ・コンガ 阿部 幹雄
4635171531生と死のミニャ・コンガ
阿部 幹雄
山と溪谷社 2000-08

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1981年5月。北海道山岳連盟のミニャ・コンガ登山では、滑落によって8人もの人が犠牲になりました。最初の1人が落ちて行く音を聞き、目の前で、1本のザイルにつながったまま、7人の仲間が落ちて行く姿を見た著者が、この事故と、この事故を背負って生きた自分の半生を描いた本です。

日本での準備段階から、事故の前後の行動について、また、同じ山で数年後に起きた別の遭難事故について、「ミスだ」と思われる点に関して詳しく述べられています。特定の個人を名指しで非難する文章が、かなりあります。これを公表するというのは、非常に勇気ある行動だと思います。

でも、逆に、自分の命の恩人である人については、それ以外の面でも、とにかくベタ誉めで、その落差があまりに激しく、これは本当に「事実」を「冷静に」書いた本なんだろうか、と、疑問に思いました。

もちろん著者が嘘を言っているとは思いません。著者の、自己弁護はあまりないし、嘘を言って得する事があるとも思えないので。でも、主観的で、感情的であり、冷静な文章ではないなあと思います。「事実」を世間に公表する文章としては、あまりに客観性に欠けている。そして感傷的すぎる、と、思ってしまいました。

著者の本業は登山家+写真家の方で、プロのライターさんではないところも、そういう印象を受けた原因かもしれません。

本文中で、落ちて行く時の仲間たちの顔が一生忘れられないと、何度も書かれています。著者の目撃した事故は、あまりに壮絶で衝撃的。冷静に振り返ることなど、一生出来なくて当然でしょう。最大限の冷静さで書くように努力した結果が、この本なんだと思います。

というわけで、ノンフィクション作品としての評価は高くないのですが、「真実」の重みはしっかり感じました。遺族の皆さんには心からのお悔やみを、そして著者を含め、この事故と真正面から向き合って生きている、登山隊の生還者の方には、心からの尊敬の念をお伝えしたいと思います。
| ノンフィクション | 09:55 | - | - |
■ 僕の妻はエイリアン 泉流星
僕の妻はエイリアン 「高機能自閉症」との不思議な結婚生活僕の妻はエイリアン 「高機能自閉症」との不思議な結婚生活
泉 流星

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外見は普通の人間のようなのに、妻の言動には、まるでよその星から来たのかと思うぐらいに、非常識で風変わりなところが多い。その原因は「高機能自閉症/アスペルガー症候群」と呼ばれる脳にあったのだ─。自閉者の周囲との違和感や独特の異質さを、「普通のサラリーマン」の夫の視点を通して軽妙に描き出した稀有なノンフィクション。
amazon 出版社/著者からの内容紹介 より。

私には、アスペルガー症候群の友達がいまして・・・。まあ、10年近く連絡を取っていないので、向こうが私を友達と思ってくれているかどうかは微妙なところなんですが、時々、気にしてはいます。親同士は今でも連絡を取り合っているので、噂は入ってくるんです。というわけで手にとったこの本。

高機能自閉症について全然知らないんだけど理解したい、という人には、とっかかりとして、読みやすい本だと思います。読み物として、ごく普通に楽しめるので、高機能自閉症の事を全然知らない人に、読んで欲しいなあと思う本ではあります。

それなりに知識がある人には、情報としては、物足りない本です。タイトルどおり、高機能自閉症についてというよりは、夫婦関係に焦点を絞っているからです。だから、障害のない私でも、コミュニケーションの難しさという点で共感できる部分があったり、人間関係上の「努力」という点で、考えさせられる点の多い本でした。夫婦っていいなーとか、結婚生活って大変なのねー、とか、そんな能天気な感想もありつつ。

どう転んでもやっぱり重い話ではあるので・・・。かわいいイラストを入れたり、軽いタッチで書こうとした事が、痛いというか、素人っぽさを倍増させている気はしました。まあ、プロの書いた本ではないので、文章の技術面とか、一冊の本としての演出という部分を、うんぬんしてはいけないんですよね。実話であるという事の重みのほうを、受け止めたいと思います。

あとがきには、ある意味、やられました。読んでいる間に、違和感はたくさんあったんです。でも、まさか、こういう事だったとは・・・。どういう事なのかは、ネタバレだと思うので書きません。でも、これから読む方はぜひ、あとがきから読む、などというバカな事はしないように、とだけ忠告させてください。
| ノンフィクション | 01:13 | - | - |
▲ 二人のアキラ、美枝子の山 平塚晶人
4163660305二人のアキラ、美枝子の山
平塚 晶人
文藝春秋 2004-07

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現在ドラマ放映中の「氷壁」の原案である、「氷壁」井上靖 の主人公・魚津恭太のモデルになった、伝説的なアルピニストの松涛明さん。そして、クライミング集団である第二次RCCを創設した、やはり著名なクライマーの、奥山章さん。この、若くして亡くなった二人のアキラについて、著者が調査した内容と、自身も登山家であった山田美枝子さんという女性が語る部分が、往復書簡の形で一冊の本にまとめられています。

山田美枝子さんは、名前が似ているので「氷壁」の美那子さんのモデルかと思って読み始めたら、かおるさんのほうのモデルだそうです。松涛明さんが遭難されたときに、松涛さんに会うために近くの山に行き、帰りを待っていた女性です。美枝子さんは「氷壁」のモデルとなったことで、松涛さんの恋人と紹介される事が増えたそうですが、ご本人によると、かおるさんと同じく片思いだったそうです。

「氷壁」の魚津と同様に松涛明さんが遭難死されて15年後、美枝子さんは奥山章さんと結婚します。しかしその奥山章さんも、7年後、自殺されます。この本では前半で松涛明さんについて、後半で奥山章さんについて描かれています。そしてそれはそのまま、日本の戦後の登山やクライミングの歴史を描いた本にもなっています。

松涛明さんの遭難死に関しては、「氷壁」はもちろんですが、「風雪のビヴァーク」というノンフィクションも有名です。壮絶な遺書が残されており、私もずいぶん昔に、何かの全集の一部として読んだのを覚えています。あれは衝撃でした。この本は、「氷壁」や「風雪のビヴァーク」を知っている人には興味深いと思います。

それにしても、この数十年の間に、日本人の死生観や人生観は、こんなにも変わったのかと、驚きます。昔は、本当に純粋で、真面目な若者がいたんだなあ、と、思います。

私には、命をかけてまで山に登りたいという気持ちは、わかりません。でも、こんなに純粋で真面目だったら、普通の社会で生きていくのは、ずいぶん辛いんじゃないかなとは思いました。
| ノンフィクション | 16:07 | - | - |
● 空へ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか ジョン クラカワー
4167651017空へ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか
ジョン クラカワー Jon Krakauer 海津 正彦
文藝春秋 2000-12

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1996年5月。日本人の難波康子さんをふくむ12人の死者を出す遭難事故が、エヴェレストで発生しました。雑誌のレポーターとしていわゆる「ガイド登山隊」の実態をルポするためこの登山隊に参加。たまたま事故の当事者となり、奇跡的生還を果たした著者が、徹底取材をして著した遭難記録と、エヴェレスト登山の現状。

日本でも、大きなニュースになった事故だそうです。でも、10年も前の事で、私はまったく記憶にありませんでした。

この本に関しては、うわぁ、想像以上に俗っぽいなあ・・・というのが、最初の感想。一応「ガイド登山隊」というものについては、ゴミ問題なども一時期騒がれましたし、他の本の中で否定的に描かれているのも読んでいて、知ってはいました。でも、ここまで商業主義が進んでいるとは、驚きです。

エヴェレストに登れる人というのは、一流のクライマーだけなのだと思っていました。技術、体力、精神力、すべてにおいて鍛練を積み、経験を積んだ人が、命の危険を覚悟し、すべてを自己責任のもとで登るものだと。

この本の著者も、本来そうあるべきだと考えているのでしょう。しかし、現実はそうではなく、エヴェレストは、経験も技術も足りない人が、シェルパに荷物を運ばせ、ガイドに命を預けて、登れる山になってしまっています。なんと、頂上付近でクライマーの渋滞が起こるというのですから驚きです。

それでも、エヴェレストの危険に変わりはなく、ちょっとした油断や、判断ミスや、悪天候が、大量遭難という悲劇を生んでいきます。

前半、ひたすら感情をおさえて、事実のみを書くように努力している様子が感じられて、ガチガチで読みにくいなと思ったのですが、最後まで読むと、こういう書き方をするしかなかったんだな、という事がよくわかります。この本は、あくまでもルポであって、文学ではなく、読み手に真実を知らせることが目的なのです。(と、信じるしかないのですが・・・) その分、登山の専門用語や、業界の事情に関しては、詳しい説明が必ずあって、そういう意味では読みやすい本でした。

山岳ノンフィクションの中では雰囲気的に異質の本ですが、この分野に興味がある人は読んでおくべき本だと思います。これが現実か、と、目のさめるような一冊です。
| ノンフィクション | 15:22 | - | - |
● ミニヤコンカ奇跡の生還 松田宏也
4635047121ミニヤコンカ奇跡の生還
松田 宏也
山と溪谷社 2000-10

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私の中でブームが起こっていて、山岳ノンフィクションを追いかけ中なのだけれど、遭難者が亡くなるものは、やっぱりちょっと恐い。というわけで、タイトルに「生還」の言葉が入っている、というだけの理由で、この本を手にとりました。

筆者の松田さんは、1982年、市川山岳会のミニヤコンカ(中国:7556m)遠征に参加し、菅原信さんとともに、頂上の直下まで登りますが、そこで天候が悪化。遭難してしまいます。この本は、松田さんが19日かかって下山し、現地の農民に発見されるまでの壮絶な記録です。62圓△辰紳僚鼎、32kgになっていたというから凄まじいです。道具や装備を少しずつ失っていき、食料も水もなくなり、手足が腐り、胃に穴が開き、友を失い、幻覚を見、それでも松田さんは諦めません。
記憶の糸がからまぬうちに、僕は、僕たちがおかした過ちー遭難を一本の糸でつなげなければならない。登山という遠征=命をかけた冒険の裏に起こった数々のミステイクをあえて公表しなければならない。それが、生還した者の最初に行わなければならない義務だと僕は思った。
と、あとがきにあるのですが、確かに、他の本(特に海外の作品)に比べるとその「ミステイク」の部分が強調されていました。海外の山岳ノンフィクションでも、遭難というのはやはり、本人の「ミステイク」があったり、力不足があったりするわけで、鼻につくような自慢話にはなっていませんが、「自分はこんな体験を乗り越えた!」という自負が、行間から感じられるように思います。

この本はちょっと違うようです。誰にでもわかるように率直に、丁寧に、正直に、「ミステイク」が記録されていきます。素人の私でさえ、「どうしてそこで行っちゃうかなあ」「なんでそれを忘れてくるかなあ」「どうしてそれを置いてきちゃったのよ」などと、途中で何度も思いました。なんとも潔い本です。

松田さんはこの遭難で、両足と両手指を失っています。にもかかわらず、現在も山を登っているというのですから驚きです。

「死のクレバス」で極限状態のジョーが、シェークスピアの詩と自分の心境を重ねるのですが、この本の中では松田さんが、中原中也を何度か引用しています。登山家には、詩が好きな人が多いのかな。
| ノンフィクション | 14:46 | - | - |
★ 死のクレバス J.シンプソン
4006020228死のクレバス―アンデス氷壁の遭難
J. シンプソン Joe Simpson 中村 輝子
岩波書店 2000-11

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再読

映画「運命を分けたザイル」の原作にもなった、あまりにも有名な山岳ノンフィクション。先日読んだ「凍」沢木耕太郎 の中にチラッと出てきて、どうしても再読したくなってしまいました。

ジョーとサイモンは親友同士。語り手である、慎重で内省的なジョーは、自由で自信に満ち溢れたサイモンに惹かれています。二人は、非常に難しいと言われる氷壁、シウラ・グランデ峰の西壁の登攀に成功するのですが、下山途中に事故が起こり、ジョーが滑落。片足を骨折してしまいます。二人はそれでも諦めることなく、ザイルでお互いの体を結び合い、かなりの距離を降りることができました。

しかし、ジョーはクレバスに落ち、氷の絶壁で宙吊りになってしまいます。彼の体を支えているのは、サイモンにつながった一本のザイルのみです。サイモンには、ジョーを引き上げることはできません。ザイルを切らなければ、2人とも死んでしまうのです。2人は究極の選択を迫られることになります。

「凍」の遭難した夫婦には、超人的な強さを見せ付けられましたが、ジョーとサイモンからは、もっと人間臭さを感じました。もちろん2人の精神力や、特にジョーの生への執着心には感服しましたが、それだけではありません。八つ当たりし、苛立ち、疑心暗鬼に陥る。恐怖と孤独におののき、時に絶望し、後悔する。この本の焦点は、極限状態に陥った人間の、内面の葛藤に合わされているのです。

この本の主役はやっぱりジョーで、ジョーの物語は本当にすごいんですけど。私には、サイモンの葛藤のほうが興味深かったです。というより、サイモンがとても格好よく見えました。

ジョーが骨折したとき「彼は死ぬ」と、思ったにも関わらず、「ジョーが諦めないうちは、見捨てるわけにはいかない」と、自らも手に重い凍傷を負いながら、2人分の命を支え続けます。しかし、ジョーが宙吊りになったときは、ザイルを切らざるを得ません。ほかに方法がなかったからです。

自分のやったことは正しかったと確信しているにも関わらず、サイモンは罪悪感をぬぐいきれません。そして、その罪悪感の真っ只中でも、自分に浴びせられるであろう非難を恐れ、「ザイルを切ったことは、黙っていよう」と考えます。しかし、ベースキャンプにつくと、結局すべてを話してしまいます。

ザイルを切ったという行為は、結果的に2人の命を救ったわけですが、サイモンの罪悪感がそれですっかり消えるということではないでしょう。こんな葛藤を経験した人の、その後の人生というのが、気になるところですが・・・このページを見ると、そんなに格好よくはなかったみたいですね(笑)

http://www.geocities.jp/inspirepeak/yates.html

この本は、プロの作家の手によるものではありませんし、翻訳物でもあるので、文章のぎこちなさが、ふと気になる時がありました。専門用語も多く、2人が何をしているのか、把握しづらい部分もありました。

それでも、本人がつづったものならではの臨場感や、その時々の心理状態の率直な告白は、すごい迫力です。ちょっと迫力すぎて、恐くなってしまって・・・最後まで読み終えるまで寝なかったので、寝不足。
| ノンフィクション | 15:22 | - | - |
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