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■ メフェナーボウンのつどう道 古処誠二
メフェナーボウンのつどう道メフェナーボウンのつどう道
古処 誠二

文藝春秋 2008-01

親切が迷惑に、労りが障りに、慈しみが仇になる撤退行とは……。
終戦間近のビルマ。英印軍の前進に伴いラングーンの兵站病院はモールメンへ撤退が決まります。負傷兵や衛生兵と共に、陸路で撤退することになった、日赤従軍看護婦の静子が主人公です。実質350キロの行程を、敵機の爆撃を受けながら歩き続ける毎日。負傷者の世話をする事を崇高な使命と叩きこまれて務めてきた静子でさえも、恐怖心から、負傷者に目を背けるようになり、負傷が実は死者である事を確認すると安堵するようになります。

この本の第二の主人公ともいえる存在が、現地人の看護婦、マイチャンです。看護という同じ作業に従事し、お互いを好ましく思ってはいても、2人の属する民族と国家の違いが生む溝は、暗く広く深いです。日本軍に制圧され、日本人に協力的であったはずのビルマ人は、戦況の変化によってしだいに英軍のほうに流れていきます。生きるためにはしょうがないことなのです。

メフェナーボウンとは、仮面の事。この本は、戦争の悲惨さを訴えることで平和に貢献する「戦争文学」としての一面だけでなく、生死のかかった極限状態において、人々が何を思い、何を語り、どのように行動するのかという点に重点が置かれていて、とても哲学的でした。悲惨さばかりが強調される、恐いばかりの戦争文学ではなかったので、好き嫌いはおいておいて、個人的な評価は高めです。それに、「敵影」(直木賞候補作品)よりは、こちらのほうが、丁寧に描かれていて、品がある気がしました。個人的な印象ですけど。あちこちで、古処文学の最高峰、というあおりがなされていることには賛同できませんが、読み応えのある一冊ではありました。

ただ、古処文学ではあまりない、男性作家による女性視点の小説であるという点が、効果的に働いていないのは残念でした。不自然さの方が勝っていました。

JUGEMテーマ:読書
| か行(古処誠二) | 22:12 | - | - |
● 分岐点 古処誠二
分岐点分岐点
古処 誠二

双葉社 2003-05

再読。

「遮断」や「七月七日」と同じように、古処さんの戦争文学です。でも、戦争文学として、以外の側面のほうが強く印象に残る作品でした。これは、少年犯罪をテーマにしたミステリィです。少年が罪を犯すのは、あるいは、少年が苦しむのは、陳腐な言葉ではありますが、純粋すぎるからですよね。子供は結局、大人の言う事を信じてしまうから。大人の言う事が立派であればあるほど、信じたいと思ってしまうから。あるいは、無力だから。周囲に、信頼できる大人がいなくても、彼らに頼り、従う以外に、生きていく術がないから。それは、どんな時代でも変わりませんね。

この本の舞台は、太平洋戦争末期の内地です。物資も、食料も、人材も不足し、くりかえされる空襲に、国民は立ち向かうすべもありません。沖縄がアメリカの手に落ち、主な都市は空襲で焼け野原になりました。国民は、空襲にも、死にも、無感覚になりつつあり、敗戦の日が近いことは、分別のある大人には自明のことになりましたが、口に出すことはできません。

しかし、子供たちにとってはそうではありません。生まれた時から戦時下にあり、戦争はすべての事にに優先するという価値観しか知らないのです。そして、日本の「大東亜共栄圏を作る」という理想を信じ続け、「神風」を待っています。

この本に出てくる13歳の少年、対馬智と、成瀬憲之もそうです。共にこの戦争で孤児になった2人ですが、2人はあらゆる意味で対照的。体力もなく、要領も悪く、いつも怒られてばかりの智。根っからの軍国少年で、いつでも真っ先に、教官である軍人に気に入られる成瀬。

2人はいよいよ人材が不足する中、本土決戦に備えて、他のクラスメートたちと共に軍の組織下に入ります。敵の上陸に備えて陣地を作る、土木工事に従事するのです。

事件は、そこで、おこりました。見るからに筋金入りの軍人で、大陸での自分の転戦を自慢話にしていた下士官が、行方不明になったのです。敗戦の色が濃厚になってきたこの時期、脱走兵など珍しくもありませんでしたが、彼が逃げるとは、皆、信じられません。彼を最後に目撃したのは成瀬でした。読者は、成瀬が彼を殺したことを知っています。しかし、その動機は、彼の上官である片桐が真相をつきとめるまで、隠されています。想像もつきませんでした。そういう意味で、WHYダニットのミステリィとも言えます。

片桐は、階級は上でも前線で戦ったことはなく、下士官たちになめられっぱなしの、若い少尉です。この小説のいわゆる探偵役であり、大人の側の主な語り手です。彼は、違反を承知で海外無線を傍受しており、この戦争の真実の姿を知っています。この本には色んな立場の人が出てきて、それぞれの視点から戦争と国家について、あるいは、人生について、また、道徳や、倫理について語ります。片桐のような人が実在していたとは考えにくいのですが、彼の考えはとても現代人に近く、彼を登場させたことは、上手いな、と、思いました。

成瀬が書いた手紙の、最後の3行に泣けました。本当に、本当は、いい子だったんだよね。彼がその後どうなったか、まったく描かれてはいません。殺人の罪には、問われたのでしょうか。真面目で潔癖すぎる彼が、孤児として、戦後をたくましく生き抜くことができたのでしょうか。アメリカナイズされていく日本の姿を、彼は見たのでしょうか
つくしのきわみ、みちのおく、
うみやま とおく、へだつとも、
そのまごころは、へだてなく、
ひとつにつくせ、くにのため。
| か行(古処誠二) | 00:44 | - | - |
★ 接近 古処誠二
接近接近
古処 誠二

新潮社 2003-11-15

あなたはどこからやってきたのですか?
ご両親はどこに住んでいるのですか?
この小説は、こんな質問で始まり、同じ質問で終ります。この言葉に込められた深い意味とは?

第二次世界大戦末期。米軍は日系二世の語学兵を、沖縄へスパイとして送り込みました。彼らは捕虜となった日本兵と寝食を共にして、流暢な日本語を身につけ、サイパンで玉砕した日本軍から日本兵の持ち物を集め、完璧に日本兵になりすますよう訓練されていました。

沖縄では「公民化」の名の元に、もっと前から同じような事がおこなわれていました。島民は方言を話すことを禁じられ、標準語を話すことを強制されました。「桜の花の咲く頃」には、と言われる米軍の沖縄上陸に備え、日本軍がやってきて土木作業に島民を駆り出しました。11歳の少年弥一は、日本軍が沖縄を守ってくれる事を信じ、積極的にそれに協力します。両親は北部へ避難しましたが、弥一は逃げる両親を軽蔑し、1人南部の避難壕に残ります。

米軍の攻撃が始まると、激しい空爆に、毎日のように島民が死ぬようになりました。最前線で戦って島民を守るはずの日本軍は、圧倒的な戦力と物資の差を目の当たりにし、手も足も出ないのが現実でした。部隊のあるものは散り散りになり、そうでない部隊からも次々に脱走兵が出て、遊兵となって島に散っていきました。

そんな中、米軍のスパイ潜入の噂が流れます。本土から来た日本兵は、島民をスパイだと言いがかりをつけ、それを理由に島民から食料を略奪し、行くあてのない人々を壕から追い出します。しかし、ひょっとするとその日本兵がスパイかもしれないし、脱走兵かもしれないのです。スパイ活動をするのなら、島民のふりをするより、日本兵のふりをするほうが、動きやすいに決まっています。

島民たちは敵である米軍だけでなく、日本兵も、やっかいな敵と見なすようになります。それでも少年弥一は、沖縄を守ってくれるはずの日本軍=神軍を信じ続け、周囲の人々の反対を押し切って、怪我をした将校を助けます。足に怪我をした北里中尉と仁科上等兵の2人は、弥一が教えた未完成の壕の近くで、傷が癒えるのを待ち、味方の迎えを待つことになります。

単なる戦争の悲惨さを訴えるだけの小説ではなく、人間同士の信頼関係、あるいは、信じるという事をテーマにした、短いけれど重厚な小説でした。プラス、「誰がスパイなのか」を巡って、ミステリィ的な楽しみ方もできる、すごい本でした。
命を賭けた献身の代償が裏切りだとしても
それでも信じていたかった。

帯より。
再読してみて「ルール」や「遮断」より、1つ上の評価をつけました。理由は、単に、私が泣けたから。小説としての技術がどうとか、レベルがどうとか、構成がどうとか、そういうことではありません。この本の感想として、戦争小説の恐ろしさを感じるよりも、弥一の気持ちを思うと切なくて、悲しくて、可哀相で・・・そういう気持ちが勝ってしまった。この小説は、泣けました。ラストシーンが、本当に泣かせるんですよねー。

ただ、このラストシーンがこの小説にとって良かったのか悪かったのかには、疑問が残ります。私を泣かせるには良かったんですけどね(笑)、こんなに真摯な小説を、最後の最後で感傷的に処理してしまったことが、小説全体にとって良かったのかどうか・・・。ラスト数ページでは、主役である弥一少年の感情を、本人のセリフではなく、居合わせた他の人の、想像でしかない言葉で語ってしまい、それが弥一少年の真実であると決め付けてしまっています。冷静になった今考えると、ちょっと不愉快です(もう、どっぷり弥一に感情移入してます、私(笑))。本当の本当の本当は、弥一が何を思っていたのか、弥一の口から聞きたかったです。

この小説は、戦争小説ですが、言語を奪われることと、アイデンティティの消失ということも、重要なファクターになっています。言語を奪われる事は文化を奪われることであり、民族のアイデンティティを奪う最も有効な手段である、なんて、大学の時に習いました。世界中のマイノリティが、言語を奪われたことで、マジョリティに吸収されてしまったという歴史があります。

アメリカで、日系人は、圧倒的にマイノリティ。しかも、戦争中は敵国人ということで、収容所に入れられたりもしていたはずです。日系二世の語学兵は、母国語である英語を奪われ、危険なスパイという任務に就かされています。そして、沖縄県民も、本土の人々とは明らかに差別されたマイノリティで、方言を奪われ、最前線に捨てられている。弥一はともかく、事情を知る語学兵の側には、弥一に対する親近感だけでなく、沖縄県民に対する同情心が芽生えたのではないでしょうか。語学兵が、弥一や壕の人々に親切だったのは、スパイであることを疑われないためでしょうけれど、それだけではなかったのではないかと、ラストシーンで思いました。
| か行(古処誠二) | 00:48 | - | - |
● ルール 古処誠二
ルールルール
古処 誠二

集英社 2002-04

再読。

太平洋戦争末期。すでに沖縄に米軍が上陸してしまい、戦う意義のなくなった、ルソン島の日本兵たちの物語です。米軍はチラシをまき、そのことを兵士たちに知らせます。大いに士気をくじかれた彼らですが、だからといって、何をどうすることもできません。武器もない、薬もない、食料もない。上からの命令に従って荷を運び、食料を求めて密林をさまようだけです。

ヘリコプターを打ち落とされ、日本軍の捕虜になってしまい、途中から彼らと行動を共にすることになった白人兵士が、重要な登場人物になります。同じ戦争に参加しているとはいえ、それまで十分な栄養を取り、余裕の勝ち戦に参加していた彼の目から見た日本兵の姿は、現代の私たちから見るそれと、多少近いものがあります。どうして彼らはまだ歩けるのか。どうして彼らはまだ従うのか。それは異様な光景でした。

日本兵たちも、負けることは承知しています。捕虜を捕らえたといえば聞こえはいいですが、それは食い扶持が1人分増えたことを意味します。また、捕虜を虐待するということは、戦後の自分たちの身を危うくします。だから、白人兵士の機嫌をとらずにはいられません。敵と味方の複雑な心理戦。でも、そんなことを考えていられる間は、まだ、甘かったのです・・・。

マラリア、怪我、深刻な栄養失調。所属していた隊に置き去りにされ、道に迷い、兵士たちは追い詰められます。衝撃につぐ衝撃の展開。そして、明らかになる衝撃の事実。ラストシーンは、哀しいの一言です。

もう2度と読まない、と、思っていたトラウマ本なのですが、「遮断」が直木賞候補になったのをきっかけに読み直しました。読み応えや、物語の構成という点では、「ルール」のほうが勝っていると思いました。「ルール」のほうが長いし、登場人物も多いし、衝撃度も高いので、読み応えがある。「遮断」は、過去と現在を中途半端に結び付けてしまったため、物語の構成上、バランスの悪い印象が残る。登場人物が少なくどの人もとにかく真摯なので、読んでいて疲れる。

でも、「遮断」のほうが直木賞候補にはふさわしい、と、再読してみて素直に思えました。「ルール」は戦場の物語で、軍人としてのポリシーや思想を持った人々の物語ですが、「遮断」の主役は軍人ではないという事で、読者は登場人物に親しみが持てる。共感できる。だから深みのある人物が描けているように思えるし、比較的読みやすい。「遮断」の主要登場人物には女性も含まれ、女性の共感も呼ぶ。今の私たちには沖縄はすっかり日本の一部で、ルソン島より、場所的にも現実感がある。

古処さんが、いたずらに戦争小説を書き続けてこられたわけではないんだな、と思いました。まだ、書き尽くしていない。まだ、伝え切れていない。だから書き続けている。ちゃんと上を目指して書いてこられたんですね。「遮断」が直木賞を取れなかったことは、やっぱりちょっと残念だなあ、と、思いました。まあ、単独受賞はないと思っていたけど、三(以下、あちこちに書いたので、自粛)
| か行(古処誠二) | 03:07 | - | - |
● 遮断 古処誠二
遮断遮断
古処 誠二

新潮社 2005-12-20

戦に現出する最大の恐怖は道徳の失効だった
末期ガンで死期の近い孤独な老人が、自分の人生を変えた沖縄戦を回想をするという形式で、物語は進みます。その合間に、彼の元に届いた一通の手紙が一文ずつ挿入されます。

昭和20年5月、沖縄戦の真っ只中で、19歳の真一は、逃亡兵となりました。真一は、かくまってもらおうと自分の育った部落の人々が隠れ住む壕に向かいます。しかしそこはすでに日本兵の監視下にあり、真一は受け入れられませんでした。

そしてそこには、真一の幼馴染のチヨがいました。チヨは、部落壕を逃げ出すときに置き去りにしてしまった、4ヶ月の娘、初子が、まだ生きていると信じています。初子を探して目立つ振る舞いをし、部落の人々を危険にさらしています。真一はチヨを連れて、生きているとは思えない初子を探しに、戦火の沖縄を故郷の村へ戻ることになります。

途中でこの旅は、片手片足を負傷したある少尉との3人旅になります。少尉も、とある理由で沖縄を北上しようとしており、真一は案内役として少尉の地位を利用しようと考え、少尉は真一を自分の運び手として利用するのです。

アメリカ軍の南下に逆らっての北上は、あまりに危険で、正気の沙汰ではありません。真一にそれをさせたのはなんだったのか。少尉が沖縄を北上した真の理由はなんだったのか。3人は部落壕にたどりつき、生き延びることが出来るのか。そして、謎の手紙の送り主は、はたして?

単に平和を訴えるだけでなく、人間の本質に迫ったり、償いや孤独や道徳について考えたりしている、深ーい深ーい本ですが、やっぱりいわゆる戦争小説です。つまり・・・恐かった!恐いの苦手なんですよ〜。本当に本当に苦手。こういう本もたまには読むべき、と、思って時々読むんですけど、時々で十分です。恐いよ〜。(ちょうどこれを読んだ日のニュースでは、北朝鮮がミサイルを発射したと報道していました。)

「戦争って恐い」という以外の部分で印象的だったのは、終盤の少尉と真一のやりとりです。生粋の日本軍人の誇りを持った少尉は、沖縄人に対する差別も、逃亡兵である真一への侮蔑も隠しません。元は農民で、即席の訓練を受けただけの防衛隊員である真一とは、思想がまったく相容れません。しかし、少尉には少尉の「善」や「義」や「道徳」があるのです。旅を続けるうちに、真一と少尉の間には、奇妙な絆が生まれます。

この小説は登場人物にも、ストーリーにも、描写にも、無駄がありません。物語をとことんシンプルな構成にして、くっきりと文学的なテーマを浮き立たせている。真っ向勝負の小説。小手先の技術で遊んだりしない、潔く、鋭い、研ぎ澄まされた筆致で、なんだか、古処誠二という小説家を尊敬してしまいます。

極限の状況に置かれたときに犯された罪、あるいは、「考えただけ」で実際には行われなかった罪は、誰にも責められないかもしれない。時が傷を癒してくれるかもしれない。でも、本人の記憶にある限り、背負った罪悪感から逃れることは誰も出来ない。何をすべきか、しないべきか、何を命に変えても守るべきか、それは、自分の価値観、自分の道徳観、にしたがって、自分で決めるべきなのでしょう。それができないのが、戦争、なので、だからこそ悲劇なのでしょう。

平和ぼけした戦争を知らない若者が、なんとか受け取れたメッセージはこの程度で、古処誠二さんに申し訳ない・・・といった感じです。靖国さんのくだりも、申し訳なかったなあ。私、小泉さんの気持ち、今まで全然理解できなかったんで。

終盤の展開はスピーディーで圧巻。さすがミステリィから出てきた方ですね。様々な真相(心の中の隠されたものも含めて)が明らかになり、唖然としてしまいました。そして、真一の人生における「救い」はちょっと切なすぎました。



今回は直木賞候補になったということで、読んだのですが・・・うーん。戦争文学の中で、この本が特別すごいのかなあ?そのあたりは、私には、恐すぎて(^_^;)冷静な判断がくだせません。でも、古処さんの戦争文学の中で、これがベストだとは思えません。でもまあ、だからこそ、直木賞をとっちゃいそうな気がする(笑)。

それに、選考委員の年齢と性別を考えると、この本が受け入れられる可能性は高いですよねー。あまりにもインパクトが強く重厚な作品で、比較すると他の作品が薄っぺらく見えてしまうのも確かですし。うん。本当にこの本、直木賞、とっちゃうかもしれないです。
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