| 遮光
中村 文則
新潮社 2004-07-01 |
これは、けっこうな究極のラブストーリーだと思うんですけどねー。そう言って、人にオススメする勇気はないですけど・・・。
早くに両親を亡くし、その悲しみが癒える前に、快活なふりをすることで人に受け入れられることを学び、大学生になった今も、意味もなく嘘をまきちらしながら、空虚に生きる男、「私」。
「私」は、卒業したら、恋人の美紀と結婚しようと思っていました。美紀の彼氏という役割を果たすことで、かろうじて自分をつなぎとめ、美紀と暮す将来だけが、「私」の将来のすべてでした。しかし「私」が卒業する前に、美紀は事故で亡くなります。「私」はその事実を受け入れることが出来ません。友人たちにも、美紀は留学中だと嘘を言い、彼女と遠距離恋愛を続けているふりをします。そして、あるものを入れた小瓶を、美紀だと思って持ち歩くことにします。
「世界の中心で愛を叫ぶ」を思い出しませんか?サクちゃんは、アキの願いだったのに、世界の中心に遺灰をまくことができず、アキの遺灰を小瓶に入れてずっと持っていましたね。
さあ、あの感動を期待して、この小説を読みましょう!・・・・嘘です。
「私」が持ち歩いているのは、遺灰ではありませんし、サクちゃんのように、立ち直って他の誰かを愛することもできません。美紀を愛したまま、「私」は少しずつ壊れていきます。初めから、正気と狂気の境界線上にいたような「私」が、狂気の世界にとうとう飛び込む瞬間までを描いた、ちっとも爽やかではない、暗い本です。
でも、わたしは、「世界の中心で愛を叫ぶ」より「遮光」に共感します。乙女(?)としても、人としても、ちょっと間違ってるかもしれないけど。(「キャー!」「きもちわる〜い!」とかいう反応ができなくて、お父さん、お母さん、ごめんなさい。)
まっとうな少年時代とまっとうな青春をまっとうに送ったサクちゃんより、常に孤独で、でも必死になって人に受け入れられようとした「私」に、幸せになって欲しかった。立派過ぎる夢を持っていたアキより、デリヘルの仕事をしながらでもとにかく生き延びようとしていた美紀のほうに、魅力を感じました。そして、そういう「私」にこんなにも必要とされていた、美紀が羨ましいとさえ思う。
個人的に考えていたこととタイミング的にマッチしてしまったので、とにかく印象が強かったことで、★マークをつけました。けして小説としてレベルが高いとか、人様にオススメであるという理由での★マークではありません。
「世界の中心で愛を叫ぶ」の過去編は高校生の物語で、「遮光」は大学生の物語ですから、大人の私が「遮光」のほうに共感するのは当然ですよね。でもまあ、いい大人のくせに「遮光」に共感している私は、まだまだ青いな、とも思います。
「私」が自立した大人になりきれなかったのは、親を失ったからでも、美紀を失ったからでもなく、やはり、つき続けた嘘のせい、という気がします。だから美紀以外の誰ともつながれなかった。「できるだけ快活なふりをすること」と、「嘘をつくこと」の違いを、子供に理解させるのは無理だったのでしょうけれど。痛いな〜。
この作品は、第129回芥川賞候補になっています。芥川賞をとった「土の中の子供」より、むしろこちらのほうが出来が良いと思うのですが・・・。タイミングをはずすのは、直木賞だけではないのですね。